ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

無限の赦し


 
神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです1テサロニケ5:9
 
 
 キリストの死について考えてみようではないか。
 
 偉大な米国人のひとりダニエル・ウエブスターの伝記を見ると、彼の経歴については863ページを割いて記されているが、死についてはただの5ページだけである。
 
 アブラハム・リンカーンの秘書、ジョン・ヘイの著書は5000ページもあるが、リンカーンの暗殺と死について書かれているのは25ページしかない。
 
 大半の伝記おいて主人公の死というのは、伝記の終わりを告げる出来事にすぎない。
 
 ところがイエスに関する4つの「伝記」、すなわち四福音書の場合、読者は不思議な事実を目の当たりにする。
 
 マタイの福音書は、その3分の1がキリストの死のために割かれている。マルコの福音書は3分の1、ルカの福音書は4分の1、ヨハネ福音書に至っては半分が、キリストの死のために割かれているのだ。
 
 そしてそれらのページのすべては、公生涯最後の24時間に充てられている。イエス・キリストの死は、人類史上それほどまでに大きな意味を持つものなのだ。
 
 キリストが来た目的は、罪人の代わりに死ぬことだった。天から下ってきたそのとき、主はすでに、ご自分が十字架に向かっていることを知っておられたのだ。
 
 
エスさま、私のためにあなたが生涯を通じて味わった苦しみは、どれほど大きかったことでしょう。私は裁かれて当然の者です。にもかかわらずあなたは私を赦してくださり、永遠のいのちを与えてくださいました。愛するあなたの御名をほめたたえます。
 
 
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デイリーディボーション:http://billygraham.org/devotion/endless-forgiveness/