携挙と救いについて
先日、次のようなご質問をいただきましたので、お答えします。
部分的携挙説は間違いで、信仰による救いのみが携挙の条件なので、それ以外の行いは何も必要ないということですね。ということは、信仰によって救われていれば、水の洗礼を受ける前の段階や聖書を読んだことがない人でも携挙に与ることができるのでしょうか?また、水の洗礼を受ける前でも救われていれば聖霊が内在していると認められるのでしょうか?
それと、信仰の成熟度に関わらず誰でも救いに与った人は携挙されるということは、なかなか悔い改めができない罪を抱えたままでも携挙されるということですか?信仰によって救われていれば、キリストを否定しなければならない職業に就いている人でも携挙されますか?クリスチャンを迫害しなければ生きていけない状況の人でも救われていれば携挙されますか?また、家族や会社が別の宗教を信じていて、それに従わなければ生きていけない状況の人でも信仰による救いさえあれば携挙されるのでしょうか?
●十字架の救いの確かさ
質問に答える前に、聖書から確認しておきたいと思います。
ルカ23:42~43
「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」
イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」
するとイエスは次のように答えました。
「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」
このように語り、イエスは天国行きの約束をしました。
十字架の救いには決定的な力があり、行いとはまったく無関係に人を救うことができるのです。
この罪人ははりつけにされていましたから、
行いは一切していません。
洗礼も受けていません。
教会にも所属していません。
にもかかわらず救われたのです。
彼は次の聖句を地で行っています。
ローマ10:10
人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。
この人は、イエスとともにパラダイスに行きました。
携挙もまた、イエスとともに天国に行くことです。
●救いと行いの関係
救われるために行いは一切不要ですが、ほんとうに救われると、信じたお方に従うという意味で行いが自然発生します。
行いによって救われることはできませんが、救われると行いが付随するようになります。
簡単に言うと順番の違いです。
行い ⇒ 救い × 救い ⇒ 行い ○
この原則は次のような御言葉で説明されます。
ヤコブ2:14
私の兄弟たち。だれかが自分には信仰があると言っても、その人に行ないがないなら、何の役に立ちましょう。そのような信仰がその人を救うことができるでしょうか。
エペソ2:10
私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。
●Q&A
Q:水の洗礼を受ける前でも救われていれば聖霊が内在していると認められるのでしょうか?
ローマ8:9
キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。
A:この御言葉は次のことを教えています。
救い=御霊の内住 逆もまた真なりで 御霊の内住=救い
Q:聖書を読んだことがない人でも携挙に与ることができるのでしょうか?
ローマ8:15
あなたがたは、人を・・・子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父。」と呼びます。
A:本当に救われた人は、程度の差はあっても、自分の霊の父である神について知りたくなるものです。
その意味で、まったく聖書を読んだことのない人や長期的に聖書を読んだことない人は、クリスチャンだと言っていても、真に救われているかどうかは疑わしいと思います。
Q:なかなか悔い改めができない罪を抱えたままでも携挙されるということですか?
1ヨハネ2:4
神を知っていると言いながら、その命令を守らない者は、偽り者であり、真理はその人のうちにありません。
A:完璧にきよいクリスチャンはひとりもいませんから、罪があっても救われていますし、救われている以上、必ず携挙されます。
ただし本当に救われているクリスチャンは、葛藤を経ることがあっても、最終的には罪を悔い改めると思います。
Q:キリストを否定しなければならない職業に就いている人でも携挙されますか?
マタイ10:32
わたしを人の前で認める者はみな、わたしも、天におられるわたしの父の前でその人を認めます。
A:本当に救われている人は、葛藤を経ることがあっても、最終的には人前でイエスへの信仰を告白します。
Q:クリスチャンを迫害しなければ生きていけない状況の人でも救われていれば携挙されますか?
1ヨハネ4:20
神を愛すると言いながら兄弟を憎んでいるなら、その人は偽り者です。目に見える兄弟を愛していない者に、目に見えない神を愛することはできません。
A:本当に救われている人は、葛藤を経ることがあっても、最終的にはキリストにある兄弟姉妹を愛することができると思います。
Q:家族や会社が別の宗教を信じていて、それに従わなければ生きていけない状況の人でも信仰による救いさえあれば携挙されるのでしょうか?
マタイ6:24
だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
A:本当に救われている人は、葛藤を経ることがあっても、最終的にはキリストに仕えることを選択すると思います。
このほか、次のような御言葉も参考になるかと思います。
ヤコブ4:4
神に背いた者たち、世の友となることが、神の敵となることだとは知らないのか。世の友になりたいと願う人はだれでも、神の敵になるのです。
1ヨハネ2:15
世をも、世にあるものをも、愛してはなりません。もしだれでも世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません。
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