【ミニ投稿】世(の富)を用いるとは? 1コリント7:31
新改訳聖書が、原文にはない余計な言葉を、つけ加えている事例です。
●訳文の違い
まずは新改訳と新共同訳聖書で、1コリント7:31を見比べてみましょう。
第一コリント7:31(新改訳)
世の富を用いる者は用いすぎないようにしなさい。この世の有様は過ぎ去るからです。
第一コリント7:31(新共同訳)
世の事にかかわっている人は、かかわりのない人のようにすべきです。この世の有様は過ぎ去るからです。
ご覧のように、前半が随分と違います。
ちなみに、「世の富」と訳しているのは新改訳だけで、
他の日本語聖書は新共同訳に近いものばかりです。⇒ 1コリント7:31
●「富」という言葉はない
実は原文を見ると、「富」に相当するギリシャ語は皆無です。
カイ ホイ クローメノイ トー コスモー トウトー
そして 定冠詞 利用している人たち 定冠詞 世 この
ホース メー カタクローメノイ
ように ~ない 利用しすぎる
②借りる
③利用する、自分で使うために取る
*カタクローメノイ カタ(を超える) + クローメノイ = 使いすぎる、使い切る
私訳
この世を利用している人たちは、利用しすぎないようにしなさい。
●解釈
以下は、コリント書の注解で定評のあるゴードン・フィーの注釈です。
クリスチャンは、この世を利用することができます。パウロには、分離主義の傾向はありません。この世界そのものは、善でも悪でもありません。しかし、この世の現状は過ぎ去ります。ですからこの世を利用する一方で、それを目一杯利用してはならない、つまり、この世に専念したり、没頭しないようにしなければなりません。(P341)
●まとめ
新改訳は、原文には存在しない「富」という言葉をつけ加えているために、
パウロの云わんとしていることから逸れています。
新共同訳も、正確とは言えない気がします。
いちばん原文に近い訳をしているのは、岩波翻訳委員会訳のようです。
そしてこの世を利用している者たちは、あたかもそれを十分には利用していないかのように〔なりなさい〕。なぜならば、この世の姿かたちは過ぎ去るからである
しかしわかり易いという点で、前田訳がいちばんよいのではないでしょうか。
世を用いるものは用い尽くさぬもののようにしてください。それは、この世の様は過ぎゆくからです。
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