ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

【ミニ投稿】コンプリート・フォーギブネス! マタイ26:28

 
 罪責感からの解放のために、小さなお手伝いになれば幸いです。

 
完全な赦し
 
マタイ26:28 
これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです
 
 
 罪をすためにという部分に使われているアフェスィスという言葉は、
 
 遠くに送る「(誰かを)解放するという意味の動詞からできた名詞で
 
 「完全な赦し」(コンプリート・フォーギブネス)という意味を持っています。
 
 
 言い換えると、
 
 イエスさまは、部分的にではなく、完全に赦すために血を流しました。
 
 過去・現在・未来にわたるすべての罪をです(コロサイ213)。
 

 
十字架の時点から自分を見る
 
 しかし現実には、
 
 赦しの話を聞いても、罪責感が抜けないクリスチャンが結構います。
 
 そういう方の中には、
 
 イエスさまを受け入れる以前に犯した罪や
 
 洗礼を受ける前に犯した罪は赦されているけれど
 
 その後に犯した罪は赦されていない気がする、という方がいます。
 
 私はそういう方に次のように言ます。
 
 
エスさまの十字架の時点から見たら、
 
過去の罪も、最近犯した罪も、これから犯すであろう罪も、すべて未来のものですよね
 
あなたが自分で「過去の罪は赦されたけれど、最近の罪は赦されていない」
 
と感じているだけで、
 
十字架刑の時点から見たら、すべての罪が未来の罪でしょう。
 
からイエスさまは、あなたが人生で犯すであろうすべての罪を背負って
 
十字架で赦してくださったのですよ
 

 
●解説
 
「赦されている感じがしない」「神さまから責められている気がする」という人は、
 
 御言葉よりも自分の感覚のほうを強く信じているのです。
 
「感じがしない」とか「気がする」という感覚のほうをです。
 
 
 これは一種の不信仰であり、大げさに言うと、一種の偶像崇拝です。
 
「感じがしない」「気がする」という感覚に信頼するのをきっぱりとやめ
 
 御言葉に信頼しましょう。
 
 
 
効果的な実践方法
 
 真理はあなたがたを自由にしますヨハネ832

 赦されている実感がくるまで、
 
 完全な赦しを、声を出して感謝しつづけましょう。
 
 これは一種の信仰による宣言です。
 
 一日で実感できなくても、何日も繰り返しましょう。
 
 
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