ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

十字架の死から復活までの間、イエスはどこにいたのか? その2


 
 その2では、イエスが死後にハデスに行ったという説をご紹介します。
 
 英語サイトを検索すると、この立場に立つサイトが目立ちます。
 
 しかしこの説には賛否両論があるので、
 
 あくまでひとつの説として捉えたほうが良いと思います。
 
 
●概要
 
十字架の死⇒アブラハムのふところ(ハデス)⇒旧約の聖徒を確保⇒彼らを連れて昇天
 
使徒信条
 
 ハデス説のおおもとは、使徒信条にあると言われています。
 
使徒信条
我は天地の造り主(つくりぬし)、全能の父なる神を信ず。
我はその独り子(ひとりご)、我らの主(しゅ)、イエス・キリストを信ず。
主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生(うま)れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架(じゅうじか)につけられ、死にて葬られ陰府(よみ)にくだり三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審(さば)きたまわん。
我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン
 
 
エスはハデスに行った
 
 ゴット・クエスチョンというサイトは陰府/ハデスについて、こう述べています。
 
シェオール/ハデスとは、二つの部分に分かれている領域です。(マタイ11231618ルカ10151623使徒22731
 
つまり、救われた人と救われてない人が別々に住む二つの場所です。 救われた人の住む場所は「パラダイス」と「アブラハムのふところ」と呼ばれています
 
救われた人の住む場所と救われてない人の住む場所は「大きな淵」によって分かれています(ルカ1626節)
 
エスが天に昇られた時、パラダイスの住人(信者達)を一緒に連れていかれました(エペソ4810節)
 
救われてない人の側のシェオール/ハデスはそのままになっています。信じないすべての人は死んだらそこに行って未来に来る最後の審判を待っています。
 
エスシェオール/ハデスに行きましたか?エペソ4810節と第1ペテロ31820節によると、はい、イエスはそこへ行きました  
 
                         (引用終わり、強調はダビデ
 
●賛否両論がある部分
 
①「アブラハムのふところ」
 
 上記のサイトでは「アブラハムのふところ」はハデスの一部だと解釈していますが、
 
 そうではなく天国のことだという見解があります。
 
 つまりイエスの復活以前に、アブラハムがハデスにいたのか、
 
 それとも天国にいたのか、という点で解釈が分かれています。
 
 天国にいたと解釈する人たちは、次の箇所を根拠にします。
 
 
『わたしは、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。』とあります。神は死んだ者の神ではありません。生きている者の神ですマタイ22:32
 
 
②エペソ4810と1ペテロ31820の解釈も賛否があり、
 
 ハデス説の根拠になるかどうかは不確かです。
 
 ハデス説に立つ人たちは、次の描写は「ハデス行き+旧約の聖徒の確保」だと考えます。
 
そこで、こう言われています。「高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた。」 ――この「上られた。」ということばは、彼がまず地の低い所に下られたということでなくて何でしょうエペソ4:8~9
 
 しかし「多くの捕虜」というのは旧約の聖徒だけでなく、
 
 新約の私たちも含むはずだというのが従来の解釈です。 
 
 
●まとめ
 
 イエスさまが、死後から復活にかけてどこで何をしていたかは、興味深いテーマです。
 
 いつか時間があるときに、徹底的に追求してみると面白いかもしれません。
 
 しかし今回は、この辺にしておこうと思います。
 
 ありがとうございました。
  
 
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