ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

未信者を聖餐式に預からせてもよいのだろうか?

 
 次のようなご質問をいただきましたので、お答えします。
 
主の晩餐について伺いたいのです。昨年、転会した教会(・・・系)では、主の晩餐がフルオープンになっておりまして、クリスチャンでなくともすべて教会に来られた時点で主に招かれた方がたであるとしてパンとブドウジュースの分かち合いがなされているのですが、私はどうも違和感がぬぐいきれません。
 
 
未信者が参加すべきない理由
 
1コリント11:23~26
私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡される夜、パンを取り、11:24 感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのための、わたしのからだです。わたしを覚えて、これを行ないなさい。」夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。」
ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです
 
 
①「わたしを覚えて、これを行ないなさい」と2回繰り返されています。
 
 未信者はキリストとまだ出会っていないわけですから、覚える以前の段階にあります。
 
 ですから、未信者には聖餐に参加する意義がありません。
 
 
25節には「この杯は、わたしの血による新しい契約です」とあります。
 
 未信者はイエスさまと、なんらかの契約を結んでいるでしょうか?
 
 答えはもちろん「いいえ」です。
 
 この点においても、未信者は聖餐に無関係といえます。
 
 
③「主の死を告げ知らせるのです
 
 未信者は、主の死を告げ知らされるべき人たちであって、
 
 告げ知らせる側ではありませんから、聖餐に預かるのはお門違いです。
 
 
④「ふさわしくないので罪を犯すことになる
 
 未信者を参加せてはいけない最大の理由はこれです。
 
もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります1コリント11:27 
 
 
 未信者は罪を赦されておらず、「ふさわしくない」状態にありますから、
 
 彼らが聖餐に預かるなら「罪を犯すことになります。」
 
 パンはキリストのからだであり、杯はキリストの血ですから、
 
 罪ある者に受けさせるなら、「弱い者や病人が多くなり、死んだ者が大ぜいいます
 
 という言葉を成就させることになります(11:30)
 
 
日本バプテスト連盟の声明文の中身
 
 質問者様の教会が日バプ連かどうかは定かではありませんが、
 
 日本バプテスト連盟が戦後70年を機に発表した声明文には、
 
 次のような文言が含まれています。
 
セクシュアルマイノリティであるとは、罪ではありません。病気でもありません。
 
 
 
 この主張は、真っ向から聖書とぶつかっています。
 
 聖書は同性愛を罪に定めていますし、
 
 性同一性障害は、脳医学や心理学において「障害」と位置づけられています。
 
 つまり日バプ連は、
 
 聖書よりも世のポリティカル・コレクトネスに立脚した一面があるということです。
 
 未信者に対して聖餐式をフルオープンにするという発想も、
 
 その一面から出ている疑いがあります。
 
 
まとめ
 
 ふつう「聖餐式をオープンにする」という場合、
 
 自教会のメンバーでないクリスチャンにも受けさせる、という意味ですが、
 
 この教会は未信者にオープンしているのですから、
 
 キリスト教界の常識を覆していることになります。
 
 質問者様には申し訳ありませんが、
 
 この教会はとても大きな間違いを犯していると言わざるを得ません。
 
 
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