ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

霊の戦い最前線 「私は聖書の真理を守りたい」

 
 この記事は、日本の福音派の内部から、
 
「創造の秩序」に対する攻撃が進められていることをお知らせするものです。
 

キリスト教メディアをとおして
 

聖書をメガネに 本紙の記事執筆について・その3:性に関する記事の執筆について

 という編集長・宮村武夫氏の記事を掲載しました。
 
 長いので一部だけ抜粋します。(全文を読みたい方は、上のブルーのリンクへ)
 
(1)性に関する記事の聖書における位置
まず第一に注目したいのは、創世記1章27節「神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された」です。
聖書は、人間を「男と女」とに創造されたと、男性と女性、つまり「性」と人間存在の本源との関わりを明示しています。ですから、「性」を軽視したり、ましてや無視することは許されません。小紙の性に関する記事執筆の全ては、この「性」の重要性に基づきます。
同時に、見逃し得ない聖書の視点があります。それは、男性、女性の違いや関係を絶対視せず、女性と男性との性別を越えて「人間」そのものに重点が置かれている事実です。
                                (引用終わり)
 
 クリスチャン・トゥデイ(CT)は、日本の福音派を代表するオンライン・メディアです。
 
 具体的な読者数はわかりませんが、人気のある記事の場合、「いいね」のクリック数は700800に上ります。FB版も含めれば、更に読者数は増えるでしょう。
 
 このようなメディアの影響が大きいことは言うまでもありませんが、CTは過去にも同性愛を肯定する内容の記事を掲載しています。
 
 
問題点
 
 この記事の問題点を探ります。
 
 最初は聖書を肯定しているような内容がつづきます。
 
 ところが次のような文言で、1番目の問題点が登場します。
 
男性、女性の違いや関係を絶対視せず・・・
 
 このフレーズの主語は、直前の見逃し得ない聖書の視点です。
 
 つまり編集長さんは、聖書は男女の違いを絶対視していない、というのです。
 
 
 しかし真理というのは、性質上、絶対的なものです。
 
 1+1=2 という自然科学上の真理は、
 
 時代が変わったり、文化が変わっても変化しません。

 相対化して「1+1=3」としたり、「1+1=0」するなら間違いです。
 
 
 聖書の真理も同じで、絶対的なものです。
 
 それに対して、男性、女性の違いや関係を絶対視せずと言うなら、
 
 実質的に、男女に関する聖書の真理は絶対ではない、と言うことになります。
 
(2番目の問題点を知りたい方は、CTへ行って私のコメントをご覧ください)
 
 
私のコメント
 
 このような文章を書くことによって編集長さんは、
 
 今後も同性愛を肯定する記事を掲載するつもりです、と宣言しているのです。
 
 それを見逃すわけにはいきません。なので私は、次のようにコメントしました。
 
>(聖書は)男性、女性の違いや関係を絶対視せず
 
編集長さんは上記のようにおっしゃっておられるが、聖書は男女の性差を明言している。
 
「同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。」ローマ1:27
 
このように聖書は、男女間の性的交わりが「自然の関係」であり、同性愛に走ることは「恥ずべきこと」だとはっきり述べている
                               (引用終わり)
 
 その後、編集長さんは、7月16日にこのような記事を掲載し、

 私のコメントに反応しました。(全文を読みたい方は、ブルーのリンクへ)

 
 記事のタイトル:「レッテル張りの聖句主義と有機的な聖書主義、似て非なるもの 
 
 言うまでもなく「レッテル張りの聖句主義」とは、私のコメントのことです。
 
 つまり編集長さんは、聖書どおりのことが書かれている私のコメントを、
 
似て非なるもの」だと攻めているのです。
 
 
聖書の真理を守りたい
 
 私は聖書の真理を守りたいので、次のようにコメントしました。
 
創造の秩序は時代の変遷によって変わることがない。
 
エスは答えて言われた。「創造者は、初めから人を男と女に造って、『それゆえ、人はその父と母を離れて、その妻と結ばれ、ふたりの者が一心同体になるのだ。』と言われたのです。それを、あなたがたは読んだことがないのですか。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません。」マタイ19:4~6
 
エスさまは創世記2章の御言葉を引用し、上記のように言われた。つまり新約時代の今日も、創造の秩序に変更がないことを示されたのだ。この御言葉をもってイエスさまは、結婚というものが一人の男と一人の女によってなされるものであることが、今日も変わることなく神の定めであることを教えられた。
 
エスさまを信じる者は、イエスさまの聖書解釈も信じなければならない。同性婚は、このイエスさまはの教えに真っ向から反するものであり、イエスさまは認めておられない。
 
エスさまはまた、「まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません」と言われ(マタイ5:18 )、旧約聖書の御言葉が、この世の続く限りすたれないことを示された。
 
前出のイエスさまによる聖書解釈の範例と、上記のイエスさまの教えに従い、レビ記18:22を引用しよう。
 
あなたは女と寝るように、男と寝てはならない。これは忌みきらうべきことである。
 
ここでも聖書は(またイエスさまも)、同性愛をはっきりと否定しておられる。
 
同性愛や同性婚は、聖書とイエス・キリストが否定する「忌みきらうべきことである」
 
 
まとめ
 
 私がこの記事を書いた意図は、
 
 教会の内部から如何にして聖書の真理に対する攻撃が進んでいるかを
 
 みなさんに知っていただくためです。
 
 部分的に正しいことを述べながら肝心な部分を否定する、
 
 そういう巧妙な策略を見分け、御霊が与えてくださる御言葉の剣をもって、
 
 闘っていかなければなりません。
 
ヨハネ41
愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです
 
 
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