ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

【ミニ投稿】旧約聖書の霊感 2ペテロ1:21


 逐語霊感のペテロ・バージョンに関してです。
 
 
聖霊に促されるままに語った
 
2ペテロ1:21 
なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされた(アオリスト過去形・受動態)のではなく、聖霊動かされた(現在形の分詞・受動態)人たちが、神からのことばを語ったのだからです
 
 
「もたらされた」「動かされた」と訳されているのはフェローという言葉で、
 
「運ぶ、持ってくる、(道が)~に通じる、(実を)結ぶ」などを意味します。
  

 直訳型の岩波翻訳委員会訳は、こう訳しています。
 
預言は決して人間の意志でもたらされたのではなく、人間が聖霊運ばれ、神から〔のものとして〕語ったのだからである
 
 

 しかし直訳ですと、
 
 特に後半の「人間が聖霊に運ばれ」る、というのことの意味がよくわかりません。
 
 どうしてペテロは、フェローというギリシャ語を選んだのでしょうか?
 
「人間が聖霊に運ばれる」とは、どういう意味なのでしょうか?
 

 
 Theological Dictionary of the New Testamentで、フェローについて調べてみました。
 
(自分で買ったのではなく、私のメンターだった宣教師さんからもらったものです。
 
 ずっと押し入れに入ったままでしたが、引っ張り出してきました。)
 
 
受動態では、船が逆風の中で「流される様」を描写している(使徒271517)・・・また、聖霊によって「強く促された預言者に関しても使われている(2ペテロ121。                    
                            
                            (第958より抄訳)
 
 
使徒27:15、17
船はそれに巻き込まれ、風に逆らって進むことができないので、しかたなく吹き流されるままにした(フェローの受動態)・・・また、スルテスの浅瀬に乗り上げるのを恐れて、船具をはずして流れるに任せた(フェローの受動態)
 
 
 
 また参考サイトには、2ペテロ121について次のような説明がありました。
 
動かされた」(フェロー)は、風に流される船の航行を意味している。・・・受動態は、預言者たちが、独力ではなく外部から来る力、この箇所の場合、聖霊によって語っていたことを描写している
                               (引用終わり)
 
 
 船が風の吹くままに流されるように、
 
 預言者たちは、聖霊に促されるままに語っていた。

 それを表現するためにペテロは、「フェローの受動態」を使ったようです。
 
 
 
七十人訳聖書
 
 このことを思い巡らしていたとき、エレミヤのことが思い起こされました。
 
 預言するのが嫌になった箇所です。
 

エレミヤ20:9 
私は、「主のことばを宣べ伝えまい。もう主の名で語るまい。」と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられませんフェローできません)
 

 
 上記の箇所を七十人訳で見てみたところ、
 
「耐えられません」の部分にはフェローが使われていました。
 
 ペテロも七十人訳を読んでいたと思いますが、
 
 上記のような箇所にフェローが使われていることが、脳裏にあったのだと思います。
 
 それで自分の手紙でもフェローを使い、旧約の預言者を描写したのかもしれません。 
 
 いずれにしても、
 
 旧約の預言者が、聖霊の霊感によって語っていたことを意味しているわけです。
 
 
 こういうわけで2ペテロ121は、
 
 2テモテ316のペテロ・バージョンだと言えます。
 
 
聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です
 
 
 
↓最後までお付き合いくださりがとうございます↓