1コリント4:20の「力」の意味
●力(デュナミス)の使われ方
1コリント4:20
上記の箇所で「力」と訳されているのはデュナミスという言葉で、
使徒1:8の「力」と同じ言葉です。
一部のクリスチャンは、上記の箇所の「力」という言葉を、
しるしや不思議のわざと結びつけて考えているとのことです。
しかしギリシャ語辞典で調べたところ、
単数形と複数形ではデュナミスの意味が違ってくることがわかりました。
下記をご覧いただくとわかりますが、力のわざを意味する場合は、
複数形で表現されるというのです。
(a) physical power, force, might, ability, efficacy, energy
(b) plur: powerful deeds, deeds showing (physical) power, marvelous works.
デュナミス
1.物理的な力、力、権力、能力、効力、エネルギー
2.複数形:力のわざ、力を示す行ない、驚くべきわざ
複数形で使われている箇所の例
マタイ7:22
その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟(デュナミス、複数形)をたくさん行なったではありませんか。』
使徒2:22
1コリント12:10 ある人には奇蹟(デュナミス、複数形)を行なう力
2コリント12:12
●1コリント4:20の解釈
1コリント4:19~21
そして、思い上がっている人たちの、ことばではなく、力(デュナミス、単数形)を見せてもらいましょう。神の国はことばにはなく、力(デュナミス、単数形)にあるのです。あなたがたはどちらを望むのですか。私はあなたがたのところへむちを持って行きましょうか。それとも、愛と優しい心で行きましょうか。
では、上記の箇所の「力」は、具体的にはどのような意味なのでしょうか。
ワードスタディーに加えて、文脈の中で解釈することが重要です。
21節をみると、パウロは「むち/フラブドス」という言葉を使っています。
よく読むと、これは20節の「力」の言い換えであることがわかります。
では「むち」とはどういう意味なのでしょうか。
デュナミスの単数形と、フラブドスに共通しているのは権威です。
4:20のデュナミスを、権威と解釈すべき理由は他にもあります。
次の箇所で「権能」「権威」と訳されているは、デュナミスの単数形なのです。
1コリント5:3~5
私のほうでは、からだはそこにいなくても心はそこにおり、現にそこにいるのと同じように、そのような行ないをした者を主イエスの御名によってすでにさばきました。あなたがたが集まったときに、私も、霊においてともにおり、私たちの主イエスの権能(デュナミス、単数形)をもって、このような者をサタンに引き渡したのです。
1コリント5:4は、4:20の直後につづく箇所で同じテーマがつづいています。
したがって5:4の「権能」と訳されているデュナミスの意味が、
4:20で「力」と訳されていたデュナミスと同じであることは明白です。
●まとめ
一部のクリスチャンは力を強調する余り、
「力」という言葉の解釈を誤っているようです。
(後述:かく言う私もそのひとりです(^^;))
1コリント4:19~20をわかり易くすると、次のようになります。
↓最後までお付き合いくださりがとうございます↓