ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

【ミニ投稿】忍耐と憐れみに満ちた神 2ペテロ8~9


 
 ペテロが、再臨を否定する人たちを諭しています。
 
 
旧約と同じ神
 
2ペテロ3:8~9 
しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです
 
 
 
ペテロは、8節で詩篇90:4をアピールしている」のだそうです(P732)。


詩篇90:4(口語訳) 
あなたの目の前には千年も過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです
 
 
主は忍耐深い
 
キリストの来臨の約束はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」(2ペテロ3:4)
 
 この批判者の言葉からわかるのは、
 
 初代教会では、再臨がいつ起きてもおかしくないと教えていたことです。
 
 ペテロは再臨の緊迫性それ自体は否定せず、
 
かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられる」のだと諭しています。
 

「忍耐深い」と訳されているのはマクロスメオーという言葉で、
 
 次の箇所にも使われています。
 
 
1コリント13:4 
寛容でありマクロスメオー)、愛は親切です。
 

箴言19:11
人に思慮があれば、怒りをおそくするマクロスメオー)。その人の光栄は、そむきを赦すことである
 

 
ひとりでも滅びることを望まず
 
ひとりでも滅びることを望まず」の「望む」はブロマイという動詞で、
 
強い決意をもって計画する」という意味だそうです。
 
 
 ブロマイは次の箇所でも使われています。
 
マタイ11:27 
すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません(ルカ10:22も同じ)
 
ルカ22:42 
父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」
 
 

逆説的な箇所も
 
「主は・・・ひとりでも滅びることを望まず」と言っているペテロですが、
 
 別の箇所では次のように述べています。
 

1ペテロ2:8 (新共同訳)
彼らは御言葉を信じないのでつまずくのですが、実は、そうなるように以前から定められているのです
 
 
 では一部の人が御言葉を信じないように、

以前から定め」ているのは誰でしょうか?
 
 当然、神です。
 

 パウロは、こんなことも書いています。

 
では、どうなるのでしょう。イスラエルは追い求めていたものを獲得できませんでした。選ばれた者は獲得しましたが、他の者は、かたくなにされたのです。
こう書かれているとおりです。「神は、彼らに鈍い心と見えない目と聞こえない耳を与えられた。今日に至るまで。」ローマ11:7~8
 
なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからですローマ11:32 
 
 
 う~~ん、神の思索は深いですね。


すべての人が悔い改めるべき
 
 上のローマ1132によれば、
 
 神がすべての人に悔い改めを勧めているのは、
 
すべての人をあわれもうとし」ていることの現れです。
 
  
 パウロはアレオバゴスの真ん中でこう語りました。
 
使徒17:30 
神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます
 
 
 神が私たちを悔い改めに導いてくださったのは、
 
不従順のうちに閉じ込められた」私たちを憐れんでくださったからです。
 
 自分で閉じ込めて、自分で憐れむ。

 私たちの神は主権的であると共に、憐れみに満ちた神でもあるということですね。

 
ローマ3:23~24 
すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです
 
 
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