【ミニ投稿】忍耐と憐れみに満ちた神 2ペテロ8~9
ペテロが、再臨を否定する人たちを諭しています。
●旧約と同じ神
2ペテロ3:8~9
しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
あなたの目の前には千年も過ぎ去ればきのうのごとく、夜の間のひと時のようです。
●主は忍耐深い
「キリストの来臨の約束はどこにあるのか。先祖たちが眠った時からこのかた、何事も創造の初めからのままではないか。」(2ペテロ3:4)
この批判者の言葉からわかるのは、
初代教会では、再臨がいつ起きてもおかしくないと教えていたことです。
ペテロは再臨の緊迫性それ自体は否定せず、
「かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられる」のだと諭しています。
次の箇所にも使われています。
1コリント13:4
箴言19:11
●ひとりでも滅びることを望まず
「強い決意をもって計画する」という意味だそうです。
ブロマイは次の箇所でも使われています。
マタイ11:27
すべてのものが、わたしの父から、わたしに渡されています。それで、父のほかには、子を知る者がなく、子と、子が父を知らせようと心に定めた人のほかは、だれも父を知る者がありません。(ルカ10:22も同じ)
ルカ22:42
「父よ。みこころならば、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、みこころのとおりにしてください。」
●逆説的な箇所も
「主は・・・ひとりでも滅びることを望まず」と言っているペテロですが、
別の箇所では次のように述べています。
1ペテロ2:8 (新共同訳)
彼らは御言葉を信じないのでつまずくのですが、実は、そうなるように以前から定められているのです。
では一部の人が御言葉を信じないように、
「以前から定め」ているのは誰でしょうか?
当然、神です。
パウロは、こんなことも書いています。
こう書かれているとおりです。「神は、彼らに鈍い心と見えない目と聞こえない耳を与えられた。今日に至るまで。」ローマ11:7~8
なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。ローマ11:32
う~~ん、神の思索は深いですね。
●すべての人が悔い改めるべき
上のローマ11:32によれば、
神がすべての人に悔い改めを勧めているのは、
「すべての人をあわれもうとし」ていることの現れです。
パウロはアレオバゴスの真ん中でこう語りました。
神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。
神が私たちを悔い改めに導いてくださったのは、
「不従順のうちに閉じ込められた」私たちを憐れんでくださったからです。
自分で閉じ込めて、自分で憐れむ。
私たちの神は主権的であると共に、憐れみに満ちた神でもあるということですね。
ローマ3:23~24
すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。
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