【短編】「なだめの供え物」とは? 1ヨハネ2:2
私たちは何から救われたのでしょうか?
答えは色々ありますが、重要ながら忘れがちなのが「神の怒り」からの救いです。
●「なだめの供え物」とは?
1ヨハネ2:2
この方こそ、私たちの罪のための、――私たちの罪だけでなく全世界のための、――なだめの供え物なのです。
「なだめの供え物」と訳されているのはヒラスモスという言葉です。
旧約聖書の使用例を見るとわかりますが、
ヒラスモスには、旧約時代の捧げ物の概念が流れています。
どちらの場合も、神の怒りを鎮めるキリストの血を指す
旧約聖書の使用箇所
エゼキエル44:27
聖所で仕えるために聖所の内庭にはいる日には、彼は罪のためのいけにえをささげなければならない。
もしその人に、罪過のための弁償を受け取る権利のある親類がいなければ、その弁償された罪過のためのものは主のものであり祭司のものとなる。そのほか、その者の罪の贖いをするための贖いの雄羊もそうなる。
レビ記25:9
贖罪の日に、あなたがたの全土に角笛を鳴り響かせなければならない。
●神の怒りからの救い
ローマ5:9~10
ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらのことです。
もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら・・・
上記の聖句にあるとおり、救われる前の私たちは神を怒らせ、神の敵でした。
人は、神の怒りから救われる必要があるのです。
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。
父なる神は、ご自分の怒りを鎮めるために御子を遣わしました。
怒りの対象である私たちを、独り子を犠牲にして救った。
神の愛が、「にもかかわらずの愛」と呼ばれる所以ですね。
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