ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

【ミニ投稿】御言葉と道徳基準の関係 1ヨハネ2:8


 ヨハネは、光の到来によって、道徳基準が明確になりつつあると言っています。
 
 
微妙に違う翻訳
 
ヨハネ2:8 
しかし、私は新しい命令としてあなたがたに書き送ります。これはキリストにおいて真理であり、あなたがたにとっても真理です。なぜなら、やみが消え去り、まことの光がすでに輝いているからです
 
 
 アレセースは、物事に関して使う場合は「真実な」という意味です。
 
 なので、岩波翻訳委員会訳も新共同訳も「真実な」と訳しています。
 

岩波翻訳委員会訳
しかもなお新しい誡めをあなたがたに書き送ろう。それは彼についても、あなたがたについても真実である。なぜなら、闇は過ぎ去り、真の光がすでに輝いているからである
 
新共同訳
しかし、わたしは新しい掟として書いています。そのことは、イエスにとってもあなたがたにとっても真実です闇が去って、既にまことの光が輝いているからです
 
 
 以下に挙げるアレセースの使用箇所では「真理」ではなく、
 
「真実な」という意味で訳されています(両方とも新改訳)。
 
 
ヨハネ4:18 
あなたには夫が五人あったが、今あなたといっしょにいるのは、あなたの夫ではないからです。あなたが言ったことはほんとうです。 
 
ヨハネ5:31 
もしわたしだけが自分のことを証言するのなら、わたしの証言は真実ではありません
 
 

私の言い分:「あなたがたにとっても真理です」と訳してしまうと、
 
「じゃあ、別の人にとっては真理じゃないの?」と突っ込みたくなってしまうので、
 
原文どおりに「彼においても、あなたがたにおいても真実です」と訳してほしいです。 
 

 
道徳基準が明確になった
 
「やみ」と訳されているのはスコティーアという言葉で、
 
 辞典には、「道徳的曖昧さ、霊的曖昧さ」を意味する決まり文句と書かれています。
 
 なので、光であるイエスが到来したことにより、
 
 地上における道徳的曖昧さ、霊的曖昧さは消え去りつつあるのです。
 
 言い換えると、キリストの到来によって道徳基準が明確になった、ということです。
 
 ちなみに「消え去る」は原文では現在形なので、~ingの含みがあります。
 
 21世紀の今日でも、闇の消滅は継続中だということです。
 
 
闇と光がコントラストされている他の箇所
 
マタイ4:16 
暗やみの中にすわっていた民は偉大なを見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、が上った。」
 
1ペテロ2:9 
それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべきの中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです
 

 
道徳基準は神の言葉
 
 ヨハネが言っているように、地上における道徳基準はキリストの言葉です。
 
 この事実は、時代と共に人間の文化が退廃しても変わることがありません。
 
 ただしこの世はサタンの支配下にあるので、
 
 世の人々の道徳基準は逆に闇に引きずられています。
 
 キリスト教会の一部にもその影響が及んでいます。
 
 しかし御言葉を本当に信じる者たちの中では、
 
 道徳的曖昧さは今も日々消え去りつつあります。
 
 御言葉を本当に信じているクリスチャンの中では、
 
 善悪の違いが、今日は昨日よりもさらに明確になっており、
 
 明日は今日よりもさらに明確になるのです。
 
 これは戦いであると同時に、私たちが光の子どもであることのしるしです。
 
 暗闇が広がりつつあるこの世にあって、私たちはますます御言葉に立ちましょう。
 
 
へブル10:35、39
ですから、あなたがたの確信を投げ捨ててはなりません。それは大きな報いをもたらすものなのです。私たちは、恐れ退いて滅びる者ではなく、信じていのちを保つ者です
 
 
↓最後までお付き合いくださりがとうございました↓