【特別号】マルコ15:25とヨハネ19:14は矛盾か?
私は新改訳聖書を読んで育ったので、この問題にはぶつかりませんでしたが、
新共同訳聖書を読んでいる人の中には、
以下の問題を、聖書の矛盾だと感じてしまう人がいるようです。
●新共同訳
新共同訳マルコ15:25
この訳文によると、マルコは朝の9時にイエスが十字架につけられたと言い、
ヨハネは、昼ごろはまだピラトによる審問だったと述べていることになります。
マルコとヨハネ、どちらが正しいのでしょうか?
●新改訳
マルコ15:25
ヨハネ19:14
しかし新改訳で読むと、ヨハネの箇所に朝の「六時ごろ」と書かれているので、
何の問題もありません。
イエスは朝6時ごろに審問を受け、朝の9時に十字架につけられたのです。
●説明
この違いは、何から来ているのでしょうか?
まずマルコのほうですが、原文で見ると、
十字架につけられたのが「第3時」と書かれています。
ユダヤ式時刻表示は朝の6時から数えるので、第3時は「午前9時」です。
これをユダヤ式で訳すと、新共同訳のように「正午ごろ」になります。
しかし新改訳のヨハネ1:39の欄外を見ると、
「この書では、共観福音書の時刻呼称と異なる方式を用いたとみる」
と書いてあります。
これは、英国の聖書学者B・F・ウエストコットが提唱した説で、
ローマ式は普通に夜中の12時で区切るので、
「第6時ごろ」というのは、そのまま「朝の6時ごろ」となります。
新共同訳はこの説を採用せず、ユダヤ式で訳しているのでしょう。
そのため混乱が生じているわけです。
しかしウエストコット博士の説をとれば、時間的な矛盾は生じません。
●別の箇所
これはユダヤ式だと正午ごろ、ローマ式なら夕方の6時ごろです。
新共同訳ヨハネ4:6
新改訳ヨハネ4:6
新共同訳に則ると、サマリヤの女は、真昼に水を汲みに出てきたことになります。
新改訳に則ると、夕暮れに出てきて水を汲んだことになります。
もしサマリヤの女が人目を避けたかったのなら、新改訳をとるべきでしょう。
明るい時間に出てくれば、人目についてしまいます。
また「イエスは旅に疲れて」とあります。
朝から一日中歩いたので、夕方になって疲れたと考える方が、
理に叶っているのではないでしょうか。
正午で疲れたとすると、イエスさまは余り体力がなかったことになります。
しかしイエスさまは、頻繁に旅をして伝道されました。
体力がなかったと考えるのは理に叶いません。
●まとめ
マルコのほうはユダヤ式時刻表示、
これらの箇所に矛盾は生じません。
矛盾に思える聖書箇所に出くわした際の原則については、
中川健一先生が説明しています。関心のある方はご覧ください。
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