ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

偽りの霊の見分け方 1ヨハネ4:4~6


 ヨハネの教えから、偽りの霊の識別方法について考えます。

 
ヨハネ4:4~6 
子どもたちよ。あなたがたは神から出た者です。そして彼らに勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力があるからです。
彼らはこの世の者です。ですから、この世のことばを語り、この世もまた彼らの言うことに耳を傾けます。
私たちは神から出た者です。神を知っている者は、私たちの言うことに耳を傾け、神から出ていない者は、私たちの言うことに耳を貸しません。私たちはこれで真理の霊と偽りの霊とを見分けます
  
 
 まず、4節と5節の「彼ら」というのは、1節の「にせ預言者」のことです。
 
 
 6節の「私たちは神から出た者です」については、説明が必要です。
 
 原文を直訳すると、「私たち、私たちは神から出ています」となります。
 

 最初の「私たち」は、英語の「we」に相当するヘメイスで、
 
 2番目の「私たち」は、文字としては書かれていませんが、

 動詞の語形から判断したものです。
 
 
 しばしばギリシャ語では、

「私(たち)、あなた(がた)、彼(ら)、彼女(たち)」などの代名詞を省きます。
 
 動詞の語形を見れば、主語が誰であるかがわかるからです。
 
 (日本語の場合は、文脈でわかるので主語を省きますよね)
 
 
 ところがヨハネは、この箇所でわざわざヘメイスを使っています。

 このことから何がわかるかというと、
 
 ヘメイスに特別な意味を持たせているということです。
 
 
 これを文脈の中で考えると、
 
 6節の「私たち」は、1節の「にせ預言(たち)」と対比されるもので、
 
 ヨハネ本人を含む「使徒たち」を指しているということです。
 
 ですから「私たちの言うこと」というのは、具体的には使徒の教えを意味します。
 
 
 そういうわけで、
 
「神から出ていない者」は使徒の教えを受け入れない、

 とヨハネは主張しているわけです。
 

 
迷謬の霊
 
 6節後半の「偽りの霊」ですが、
 
 調べてみたところ、「偽り」に当たるギリシャ語は、
 
迷うこと、誤り、迷いを生じさせる誤りという意味でした。
 
 それゆえ口語訳は、「迷いの霊」と訳しています。
 
 
口語訳
これによって、わたしたちは、真理の霊と迷いの霊との区別を知るのである
 
 
 しかしここでヨハネが言っているのは、
 
 使徒の教えから逸らして、誤りの中に入れる霊のことです。
 
 その意味で文語訳は、とても的を得た訳語になっていると思います。

 
文語訳
我ら神より出でし者なり。神を知る者は我らに聽き、神より出でぬ者は我らに聽かず。
之によりて眞理の靈と迷謬の靈とを知る
 
 迷謬(めいびゅう):迷いあやまること。
 
 
 文語訳は難しいですけど、日本語としての響きが良く、風格もありますね。
 

 
まとめ
 
「反キリストの霊/迷謬の霊」の特徴は、
 
 ①「エスを告白しない」こと(3節)、

 ②使徒の教えから逸らすことです(6節)。
 
 使徒の教えとは、現代においては聖書の教えことです。
 
 
 これに完璧に合致する牧師が存在しますので、ご紹介します。
 
 2015年6月4日のクリスチャン・トゥデイに、
 
 
 という記事が掲載されました。 
 
 グレタ・ボスパーという女性牧師のことが書かれており、
 
 その女性牧師が2001年に無神論者であると公言したため、
 
 教団が調査に乗り出すことになったと書かれています。
 
 
 今月4日掲載の

 
 という記事には調査結果が記されており、
 
 教団は彼女を牧師として不適格と判断したとのことです。
 
 当前ですよね。「イエスを告白しない霊」に属している牧師なんて。
 
 
 ところが記事を読むと、
 
「ボスパー牧師を支持する請願書の署名は1千以上に達している」とあります。
 
 その教会の教会員たちが、牧師を支持しているのだそうです。
 
 なんとも馬鹿げた話ですが、実際に起きていることです。
 
 くれぐれも私たちはこうならないよう、注意したいものです。
 
 
神の不動の礎は堅く置かれていて、それに次のような銘が刻まれています。「主はご自分に属する者を知っておられる。」また、「主の御名を呼ぶ者は、だれでも不義を離れよ。」
                                2テモテ2:19   

 
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