相互愛の根拠 1ヨハネ4:11~12
ほんの小さなギリシャ語が、クリスチャンの相互愛の根拠を教えています。
1ヨハネ4:11
愛する者たち。神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちもまた互いに愛し合うべきです。
11節の「愛する者たち」ですが、
この訳語だと、ヨハネが手紙の読者を愛している、という意味にしか受け取れません。
意味は「愛されている者」です(7節のほうも同じ)。
ですから言葉の意味としては、ヨハネが愛しているというのではなく、
神から愛されている者たち、という意味です。
下記の聖句の場合、「神+アガペートス」なのでわかり易いと思います。
ローマ1:7
そういうわけでヨハネは、
「神に愛されているみなさん、・・・」と呼び掛けているのです。
●神が愛を示した方法
「神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら」という部分では、
「これほどまでに」という言葉を加えることによって、
クリスチャンに対する神の愛の強さ、深さが強調されています。
「このような方法で、このようにして」という意味ですから、
神が私たちを愛した方法が説明されていることになります。
ヨハネは、すぐ前の10節後半の内容を指して、
「このような方法で、神は私たちに愛を示してくださった」と言っているわけです。
10節後半
私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。
言うまでもなく、
「このような方法」というのは、キリストを犠牲にしたことを指しています。
それほど神は、クリスチャンを愛しているのです。
●相互愛の根拠
原文では、11節の前から2番目に、「もし~なら」という意味の言葉が来ています。
先の「ホウトス」と合わせると、
「もしこのような方法で神が愛したのなら」と言っていることになり、
クリスチャン同士が愛し合うべき理由/根拠が説明されています。
ヨハネは、クリスチャンそのものに愛されるべき理由があるとは言っていません。
クリスチャンが特別素晴らしい人格の持ち主だからでもなく、
外見的に魅力のある人だからでもありません。
現実的には、とても愛したいとは思えない人柄のクリスチャンもいます。
中にはクリスチャンとは思えないほど、性格の悪い人もいますよね。
しかしもし神が、そういう人をも特別深く愛してるのなら(エイ)、
私たちも同じようにすべきだ、というのがヨハネの主張です。
クリスチャンの相互愛は、神が起点になっているのです。
その意味で、この世の相互愛とは全然違います。
愛したくない相手であっても、私たちは神に目を向け、
神がその人を愛しているから、愛するのです。
十字架ですよね。
相手の性格が悪い場合。
でもそれが、聖書の言う相互愛の根拠です。
世の人のように、嫌な相手は愛さなくてもいいというのではありません。
もし私たちが互いに愛し合うなら、
神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。
1ヨハネ4:12
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