主の御顔を仰ぎ見る 詩篇11篇
ダビデのように、いかなるときも主を仰ぎ見る信仰が欲しい!
主に私は身を避ける。どうして、あなたたちは私のたましいに言うのか。
「鳥のように、おまえたちの山に飛んで行け。それ、見よ。悪者どもが弓を張り、弦に矢をつがえ、暗やみで心の直ぐな人を射ぬこうとしている。
ダビデが「あなたたち」と呼んでいる人々は、
サウル王に追われていた時代の、ダビデの友人たちであろうとのことです。
友人たちは善意で、しかし恐れから助言をし、
鳥のように逃げるよう、ダビデに奨めています。
しかしダビデは、「主に私は身を避ける」と宣言しました。
人の言葉は、時として主から逸らそうとします。
状況を分析して、人間的な常識に寄り頼ませます。
もしその助言が恐れから来ているものなら、
そういう助言には注意しなければなりません。
●3節
3節は聖書によって、訳し方が違っています。
新改訳11:3
「拠り所がこわされたら正しい者に何ができようか。」
新共同訳11:3
「世の秩序が覆っているのに、主に従う人に何ができようか」と。
どちらの訳文も、何を言っているのか釈然としません。
「あなたが確立したものを、彼らが破壊してしまったからには、正しい者は何を成し遂げたというのか?」
ヘブル語の語順を見ると、この訳が有力なように思える。しかしヘブル語に少々修正を加えると、ずっと優れた意味が生まれてくる。
「土台が崩されてしまうなら、土台の上の建物はどうなるだろうか?」
(引用終わり)
3節の意味がどうであるにせよ、
友人たちは常識的なことを述べて、ダビデを脅かしているようです。
しかしダビデは、そのような助言は妥協だと考えます。
●4節
11:4~7
主は、その聖座が宮にあり、主は、その王座が天にある。その目は見通し、そのまぶたは、人の子らを調べる。
主は正しい者と悪者を調べる。そのみこころは、暴虐を好む者を憎む。
主は、悪者の上に網を張る。火と硫黄。燃える風が彼らの杯への分け前となろう。
主は正しく、正義を愛される。直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る。
4節は並行法が使われており、「宮」と「天」が並列しています。
どちらも主の臨在の場所を象徴しており、
ダビデの心は、人の言葉ではなく主に向いていることがわかります。
そして、主は人の仕業をすべてを見通しており、正しい裁きをなさるので、
主に信頼するのが一番だという結論に達します。
それは、「直ぐな人は、御顔を仰ぎ見る」という言葉でわかります。
御顔を仰ぎ見る人は、主の好意を体験することになる、
と書かれています。
読者の皆さんが主の御顔を仰ぎ見、主の好意を体験されますように!
●感想
私は一番最後の、
差し迫った状況に置かれている兄弟姉妹にとって、
主の御顔を仰ぎ見ること以上に、なすべきことがあるでしょうか!
今日の午後は、聖霊の与える言葉によってひたすら祈りました。
主がみなさんに、御顔を仰ぎ見させてくださいますように!
わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。ヨハネ16:33
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