御霊の付与と共有 1ヨハネ4:13
一つのギリシャ語の前置詞から、御霊の共有について学びます。
●御霊の付与と共有
神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。
この箇所を原文で見ると、とても興味深いことが書かれています。
「御霊を与えてくださいました」の部分を厳密に訳すと、
「御霊から与えてくださいました」と書かれています。
以下に原文をコピペします。
ὅτι ἐκ τοῦ πνεύματος αὐτοῦ δέδωκεν ἡμῖν
なぜなら ~から 御霊 彼の 与えた 私たちに
13節全体を直訳すると、次のようになります。
このことによって私たちは、私たちが神の中に留まっており、
神が私たちの中に留まっていることを、(体験的に)知るのです。
なぜなら神は、神の御霊から私たちに与えてくださったからです。
(「このこと」は、「なぜなら神は~」以降の部分を示す)
☆ ☆ ☆
●説明
上図の「ek/エク」と書いた→をご覧いただくとわかるとおり、
大きな円が御霊なる神だとするなら、そこから一人ひとりに御霊を付与した、
というニュアンスが、この前置詞によって表されています。
しかし注意しなければならないことは、
御霊はご人格ですので、一つの人格を物理的にいくつにも分ける、
という考え方は間違いだということです。
他の聖書箇所と合わせて考えるなら、
ひとりの御霊を私たちが共有している、と考えるべきです。
たとえばへブル6:4にこうあります。
へブル6:4
クリスチャンは、ひとつの御霊をみなで共有している、
というのがヨハネの云わんとしていることです。
これはパウロ的に言うなら、次のとおりです。
1コリント12:13
●証
昔の話ですが、日曜日の午後、カトリックのカリスマ派が、
上智大学で「日曜会」という集会を行っていました。
私は何度かその集会に出たことがあります。
その集会では、大きな輪になって賛美するのですが、
賛美の終盤は、異言による霊歌に導かれます。
そのときのハーモニーが、言葉では説明できない美しさでした。
この集会に参加したとき、
同じ御霊をシェアーしているのだなあ、ということを体感(ギノスコー)しました。
また、これも昔の話ですが、
お馴染みのビンヤードソングで賛美した後、会衆の中のどこからともなく、
異言による霊歌が始まりました。そのハーモニーがまた秀逸で、
まるで天使が加わって賛美しているかような、天国を思わせる音色でした。
●まとめ
13節後半の「私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられる」
という部分は、クリスチャンと神が一体であることを述べています。
宗派や地上の国籍、民族、言語が違っても、
クリスチャンは一つの御霊を共有するキリストの体です。
パウロが1コリント12:20で、
「器官は多くありますが、からだは一つなのです」と述べたすぐ後に、
愛の賛歌を綴った理由がわかる気がします。
愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。1コリント13:4~7
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