信仰による告白 詩篇12篇
主よ。お救いください。聖徒はあとを絶ち、誠実な人は人の子らの中から消え去りました。
人は互いにうそを話し、へつらいのくちびると、二心で話します。
主が、へつらいのくちびると傲慢の舌とを、ことごとく断ち切ってくださいますように。
彼らはこう言うのです。「われらはこの舌で勝つことができる。われらのくちびるはわれらのものだ。だれが、われらの支配者なのか。」
主は仰せられる。「悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼を、その求める救いに入れよう。」
主のみことばは混じりけのないことば。土の炉で七回もためされて、純化された銀。
あなたが、主よ、彼らをお守りになります。あなたはこの時代からとこしえまでも彼らを保たれます。
人の子の間で、卑しいことがあがめられているときには、悪者が、至る所で横行します。
詩篇の著者は、主の介入を求めている。
社会が惑わしと高ぶりの力によって凌駕され、
敬虔な者たちは圧し潰されている。
主が、抑圧される者たちを守るとの御言葉を宣言すると、
詩篇の著者は、その約束が真実であることを確信する。
●5節
「その求める救いに入れよう」という部分について、少し説明します。
なので、新共同訳のほうが原語のニュアンスが出ていると思われます。
「今、わたしは立ち上がり、彼らがあえぎ望む救いを与えよう。」
●6節
「混じりけのない」という言葉は「純粋な」という意味で、
これは3節の「へつらい」「傲慢」に対比されるもので、
主の言葉に偽りがなく、信頼に足るものであることを表しています。
「七回」というのは、行為が徹底していることを比ゆ的に表現したもので、
創世記4:15やイザヤ30:26の「七倍」と同じです。
●証
私事ですが、ある信仰の友が、ミニストリーに目に見える実が現れず、
落胆しています。
しかし今朝この詩篇を読んでいたとき、次の部分がレーマとして語られました。
主は仰せられる。「悩む人が踏みにじられ、貧しい人が嘆くから、今、わたしは立ち上がる。わたしは彼を、その求める救いに入れよう。」
ハレルヤ!
主は、「今、立ち上がる」と言ってくださり、
「彼を、その求める救いに入れよう」と語ってくださいました。
レーマも神の言葉ですから、
私が聞き間違えていない限り、信頼に足るものです。
なので、この語り掛けを信じ、その友が強められることを待ち望みます。
マルコ11:22~23
神を信じなさい。まことに、あなたがたに告げます。
だれでも、この山に向かって、『動いて、海にはいれ。』と言って、心の中で疑わず、
ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
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