特選の民 テトス2:14
この箇所が専門書の中で引用されていたので原文を調べてみたところ、
新改訳では訳出されていない素晴らしい意味があることに気づきました。
なので、とりあえずこの箇所を記事にして皆さんにお分かちします。
新改訳
テトス2:14
キリストが私たちのためにご自身をささげられたのは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心なご自分の民を、ご自分のためにきよめるためでした。
新改訳では上記のように、ただ「ご自分の民」と訳されているだけです。
「犠牲の大きい、大切にされている、選び出された、特別に選ばれた」
という意味があります。
それゆえ他の聖書、特にむかし翻訳されたものには次のように書かれています。
文語訳
キリストは我等のために己を與へたまへり。是われらを諸般の不法より贖ひ出して、善き業に熱心なる特選の民を己がために潔めんとてなり。
口語訳
このキリストが、わたしたちのためにご自身をささげられたのは、わたしたちをすべての不法からあがない出して、良いわざに熱心な選びの民を、ご自身のものとして聖別するためにほかならない。
塚本訳
彼は私達を『凡ての不法から贖い出し』、また(私達を)『潔めて』、善い仕事に熱心な『自分の選民にしよう』として、私達のために自分を与え給うたのである。
前田訳
彼は自らをわれらのためにお与えでした。それはわれらをすべての不義からあがない、よいわざに熱心な選びの民として自らのためにお聖めになるためです。
そうです。
私たちクリスチャンは、大きな犠牲を基に特別に選び出され、
大切にされている「特選の民」なのです。
どうしてこんな素晴らしい意味を持ったギリシャ語を、
新改訳聖書は無視したのでしょうか?
理由は定かではありませんが残念です。
どうぞ皆さん、ご自分が「特選の民」であることを噛みしめ、
主の恵みを味わってください。
↓読者の皆さんの上に祝福がありますように↓