神の主権性は選ばれた人の救いを保証する
多目的贖罪論が、
アルミニウス主義やカルビン主義と同じ見解をとっているテーマは当然あります。
聖書的に正しいテーマについては、従来の救済論と同じです。
カルビン主義と同じ見解の一つに、「選ばれた人々の救いの保証」があります。
選ばれた人々の救いの保証というのは、
ご自分が選んだ人たちの救いを神は保証しており、
選ばれた人は必ず救われるというものです。
多目的贖罪論によると、
選ばれた人たちの救いの保証は、次の3点に根拠があります。
①神の主権性
②選ばれた人たちに特別に向けられた神の愛
③父なる神とキリストの一致
この記事では①について書きます。
●救いの予定は神の意思による
エペソ1:5、11(岩波翻訳委員会訳)
このキリストにおいて私たちはまた、〔自らの〕意志の意向のままにすべてのことを成し遂げる方の意思に従って前もって定められた通りに、相続分を与えられたのである
神による救いの予定について、次のように教えます。
将来、人がその自由意志によってキリストを信じるようになることを神が予知し、
その予知に基づいて救いを予定する。
神が私たちの将来を見通しているという点は、正しいと思います。
しかし上記の箇所をよく読むと、アルミニウス主義とは違うことが書かれています。
予知ではなく「御心」に従って「前もって定めた」、
「(神の)意思に従って前もって定められた」と言っています。
救いの予定は、神の予知に従って行なわれたのではなく、
神の意思に従って行なわれたということです。
●神の主権性と救いの保証
「〔自らの〕意志の意向のままにすべてのことを成し遂げる方」という表現は、
神が主権的に物事を行なう方であることを示しています。
救いの予定も、この主権的な意思に従って行なわれるというのが、
パウロの云わんとしているところです。
すべてのことをご自分の意向のままに成し遂げるということは、
すべてのことは、神の意向のとおりになるということですから、
人の意志や霊的状態とは無関係に行なわれるという意味で、
救いの予定は、無条件かつ一方的なものだと言うことができます。
選ばれた人たちの救いが神の主権的計画の一部であり、
人間側の選択によるものではないことがわかります。
信じることを自分で選んだり、決断したと私たちが感じるのは、
あくまで人間側の主観に過ぎず、
私たちの意志が聖霊によって説得された結果だということです。
救いが神の予定によって起こるということは、
予定されている人しか救われないということになります。
救いが神の定めに依存していることは、使徒13:48からもわかります。
そして、永遠のいのちに定められていた人たちは、みな、信仰にはいった。
使徒13:48
救いに定められていた異邦人は「みな」救われましたが、
それ以外の人たちは救われませんでした。
両者を分けたのは、神によって救いに定められていたか、いなかったかの違いでした。
救いに予定されているなら、機会が到来したときに救いに預かることができます。
言い換えると、選ばれた人たちの救いは、
神の主権的な意思に基づく計画によって、保証されているということです。
このことをイエスさまの言葉で表現すると、次のようになるのだと思います。
わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。