選ばれた人々に注がれる神の特別な愛 その1
カルビン主義の贖罪論は、全人類のための贖罪を否定し、
特定の人々の贖罪のみがキリストによってなされたと教えます。
逆にアルミニウス主義は、全人類の贖罪だけを肯定し、
特定の人々のための贖罪を否定します。
しかし多目的贖罪論は、聖書が両方語っていると考えます。
●特定の人々のための贖罪
マタイ1:21(岩波翻訳委員会訳)
例えば上記の箇所では、天使はイエスが「彼の民」を救うと告げています。
「彼の」に当たるギリシャ語アウトゥーは、属格の人称代名詞です。
それゆえ「彼の民」というのは、イエスに属する人々であることがわかります。
全人類を指してはいません。
●選びの民に向けられる神の愛
神が不特定多数の人の中から一部の人々を選び出すとき、
選ぶという行為自体が、一部の人に向けられた特別な愛を動機としています。
以下はイスラエルの民が選ばれた理由を説明する聖書箇所です。
主はあなたの先祖を愛されたがゆえに、その後の子孫を選び、御自ら大いなる力をもって、あなたをエジプトから導き出された。
主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。
ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。
ホセア11:1 (新共同訳)
●選ばれた人々に対する主の救霊愛
一部の人を愛する神の性質は、新約にも引き継がれました(エペソ5:25~27)。
そしてその愛は、神による選びや救いに表れています。
エペソ1:4(新共同訳)
1テサロニケ1:4
神に愛されている兄弟たち。あなたがたが神に選ばれた者であることは私たちが知っています。
2テサロニケ2:13
しかし、あなたがたのことについては、私たちはいつでも神に感謝しなければなりません。主に愛されている兄弟たち。神は、御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めから救いにお選びになったからです。
このように聖書は、神の愛にも、選びの根拠があることを教えています。
☆ ☆
以下の箇所では、イエスに属する人々が「羊」と呼ばれています。
わたしが良い羊飼である。良い羊飼は羊のために命を捨てる。
わたしが良い羊飼である。わたしはわたしの羊を知っており、わたしの羊もわたしを知っている。
父上がわたしを知っておられ、わたしが父上を知っているのと同じである。そしてわたしは羊のために命を捨てる。
新改訳は、「わたしは・・・です。」と訳していますが、
原文には「エゴ-・エイミ」と書かれています。
ギリシャ語では「エイミ」だけで「わたしは~です」という意味になりますが、
ヨハネはあえて「エゴー」をつけることで、「わたし」を強調しています。
ですから塚本訳のように、「わたしが~である」としたほうが、
日本語としての強調のニュアンスが表れます。
新改訳の11節欄外をご覧いただくと、エゼキエル34:11~16とあるとおり、
「わたしが良い羊飼いである」とイエスさまが言われたとき、
エゼキエル34:11~16を意識していたと思われます。
というのは、「羊飼い」のギリシャ語はポイメンですが、
七十人訳でエゼキエルを読むと、「牧者」が同じポイメンで書かれています。
次の箇所を読んでみてください。
エゼキエル34:11~16
11 まことに、神である主はこう仰せられる。見よ。わたしは自分でわたしの羊を捜し出し、これの世話をする。
12 牧者が昼間、散らされていた自分の羊の中にいて、その群れの世話をするように、わたしはわたしの羊を、雲と暗やみの日に散らされたすべての所から救い出して、世話をする。
13 わたしは国々の民の中から彼らを連れ出し、国々から彼らを集め、彼らを彼らの地に連れて行き、イスラエルの山々や谷川のほとり、またその国のうちの人の住むすべての所で彼らを養う。
15 わたしがわたしの羊を飼い、わたしが彼らをいこわせる。――神である主の御告げ。――
16 わたしは失われたものを捜し、迷い出たものを連れ戻し、傷ついたものを包み、病気のものを力づける。わたしは、肥えたものと強いものを滅ぼす。わたしは正しいさばきをもって彼らを養う。
11節、12節、15節には「わたしの羊」とあり、ヨハネ10:14と重なります。
13節は、選ばれた人々が諸民族から救われることを語っており、
16節はルカ15章の迷える羊の譬えを彷彿とさせます。
加えて「エゴー・エイミ」は、「わたしはヤーウェである」という暗示ですから、
ヨハネ10章がエゼキエル34章を背景にしていることは明白です。
そして「わたしの羊」という表現は、主に属する特定の人々のことで、
全人類のことではありません。
ですから「良い羊飼は羊のために命を捨てる」というフレーズの意味も、
主に選ばれた人々の贖罪を意味しています。
つづく