ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

聖霊と火とのバプテスマ マタイ3章


 
 いわゆる「聖霊バプテスマ」の概念をいったん脇に置いてこの箇所を解釈すると、
 
 譬え話の本来の意味が見えてきます。
 
 
まむしのすえたち
 
マタイ3:7 
しかし、パリサイ人やサドカイ人が大ぜいバプテスマを受けに来るのを見たとき、ヨハネは彼らに言った。「まむしのすえたち。だれが必ず来る御怒りをのがれるように教えたのか。

 
「まむしのすえたち」とはどういう意味なのでしょうか?
 
 
 当時は、まむしの子どもが生まれてくる時、母親のまむしを食い破って腹から出て来る種類のものがいたと考えられていました(ヘロドトスプルタルコスなどがそう考えていたそうです)。
 
 ですから「まむし」と言われるだけで十分に悪い含みがありましたが、「まむしのすえたち」と呼ばれることには、自分の親を殺すという一層醜悪な含みがあるのだそうです。
 
 
われわれの先祖はアブラハム
 
マタイ3:9 
『われわれの先祖はアブラハムだ。』と心の中で言うような考えではいけません。あなたがたに言っておくが、神は、この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです。
 
 
「われわれの先祖はアブラハムだ」というフレーズには、

 どのような意味があるのでしょうか?

 
 
 当時のユダヤ人は、自分たちはアブラハムの徳のお陰で救われている、
 
 と往々にして考えていたそうです。
 
 バプテスマのヨハネは、その考えが間違っていることを指摘しました。
 
 
聖霊と火とのバプテスマ
 
マタイ3:10~12 
10 斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。
11 私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。
12 手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。
 
 
 11節後半を原文どおりに訳すと、
 
「彼はあなたがたを聖霊と火の中に浸します」となります。
 
 ギリシャ語講師のジョン・ムーア氏は、
 
 バプティゾーという語に「洗礼を授ける」という訳語を付けてしまったことは、
 
 昔の聖書翻訳者の功罪だと言っています。
 
 バプティゾーは、単に「浸す」という意味の言葉だからです。
 
 
 この箇所も、バプティゾーに囚われずに解釈すると、真の意味が見えてきます。
 
 The IVP Bible Background Commentary: New Testament(P53)に基づいて説明します。
 
 
 聖霊の「霊」の部分(プニューマ)には、風という意味があります。
 
 12節の譬えは、農夫が箕を使い、風の中で麦ともみ殻を選り分ける様を描いています。
 
 農夫が穀物を空中に投げ上げると、風(聖霊)が麦ともみ殻を選り分けます
 
 聖霊に従う者であるクリスチャンは倉(天国)に入り、
 
 吹き飛ばされたもみ殻(不信者)は消えない火(ゲヘナ)に入れられます。
 
 その選り分けを行うのがイエス・キリストだと、ヨハネは言っているわけです。
 

 10節以降は神の裁きを警告する文脈ですから、上記の解釈は文脈と一致しますし、
 
 イエスゲヘナ(地獄)の譬えを何度も話したこととも一致します。

 
 終わり