罪の抑制と普遍的贖罪
創世記9:5~7
わたしはあなたがたのいのちのためには、あなたがたの血の価を要求する。わたしはどんな獣にでも、それを要求する。また人にも、兄弟である者にも、人のいのちを要求する。
6 人の血を流す者は、人によって、血を流される。神は人を神のかたちにお造りになったから。7 あなたがたは生めよ。ふえよ。地に群がり、地にふえよ。
創世記8:21~22の裁きの延期と自然の賜物の付与に関する言葉は、
主がご自分の「心の中で」語ったものでした(21節)。
しかし上記の箇所はそこから発展して、ノアとその息子たちに語られた言葉です。
この箇所で主は、人の命を害する者は、
その者の命をもって償わなければならないと定めました。
その理由は、人が「神のかたち」に造られているからです(6節)。
しかし理由は、それだけではありません。
9章の1節と7節で、人類の繁栄が命じられています。
ということは、2節から6節の内容は、すべて人類の繁栄のための言葉です。
人が繁栄するためには、人間社会の悪を抑制する必要があることを示しています。
悪の抑制を含めたこの箇所全体が、8:20の全焼のいけにえを土台にしているのです。
●様々な手段による罪の抑制
創世記4:15
主は彼に仰せられた。「それだから、だれでもカインを殺す者は、七倍の復讐を受ける。」そこで主は、彼に出会う者が、だれも彼を殺すことのないように、カインに一つのしるしを下さった。
神は様々な方法で、人の罪が余りにも酷くならないように抑制しています。
上記に箇所では、「しるし」の具体的な意味は分かりませんが、
カインが殺されないように、周囲の人から守っています。
創世記6:3
そこで、主は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人の齢は、百二十年にしよう。」と仰せられた。
上記の箇所では、堕天使と人間が生殖するようになり、
人類を短命にしてその広がりを抑制しました。
使徒7:51
かたくなで、心と耳とに割礼を受けていない人たち。あなたがたは、先祖たちと同様に、いつも聖霊に逆らっているのです。
この箇所には、不信者が聖霊に逆らうことが書かれています。
しかし見方を変えれば、
律法のシステムをとおして、不信者にも聖霊が働いていたことがわかります。
また2テサロニケ2:7には、
人間は、よくも悪くも霊的な力に影響を受けるのです(ローマ8:14、エペソ2:2)。
ローマ13:1~4
人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。
したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。
支配者を恐ろしいと思うのは、良い行ないをするときではなく、悪を行なうときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行ないなさい。そうすれば、支配者からほめられます。
それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行なうなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行なう人には怒りをもって報います。
上記の箇所では、政府や国家権威によって人間の罪が制御されていることがわかります。
権威を立てたのは神ですから、間接的な方法で、神は人の罪を制御しているのです。
●まとめ
聖書全体を通して、神がいろいろな形で人の悪を抑制していることがわかります。
この罪の抑制の働きは、ノアによる全焼のいけにえを土台にしています。
そして、全焼のいけにえはキリストの十字架の象徴です。
悪や罪の抑制、自然の賜物の付与、裁きの延期、
これらの一般恩寵も、イエスによる普遍的な贖罪が土台となっているのです。
言い換えると、普遍的な贖いがなされた目的の一つは、
一般恩寵をもたらすてめであったと言えます。