救いは神から与えられるもの マタイ13:11
マタイ13:11
大抵の場合「与える」と訳されています。
一例としてマタイ7章を挙げます。
マタイ7:7、11
求めなさい。そうすれば与えられます。…
してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。
●並行記事
マルコ4:11
マルコの福音書の並行記事を見てみると、やはりディドミーが使われています。
「知らされている」と訳されている部分はディドミーの受動態の完了形です。
直訳すると「奥義がすでに与えられている」となります。
岩波翻訳委員会訳は、直訳しています。
マルコ4:11(岩波翻訳委員会訳)
すると彼は彼らに言った、「あなたたちには神の王国の奥義が〔すでに〕与えられている。しかし、外にいるあの者たちには、〔さまざまの〕譬でそのすべてが示される。
●救いに選ばれている人とそうでない人
ですから、これらの聖句によってわかるのは、
神の国の知識を与えてもらえる人と、与えてもらえない人がいるということです。
後者の人たちは、
マルコの福音書では「ほかの人たち」「外にいるあの者たち」と言われています。
「ほかの人たち」という表現は、定冠詞とエクソーという語で成り立っています。
「定冠詞+エクソー」は、聖書の他の箇所では「外部の人たち」と訳されており、
非キリスト教徒を意味しています。
1コリント5:12~13
外部の人たちをさばくことは、私のすべきことでしょうか。あなたがたがさばくべき者は、内部の人たちではありませんか。
外部の人たちは、神がおさばきになります。その悪い人をあなたがたの中から除きなさい。
コロサイ4:5
外部の人に対して賢明にふるまい、機会を十分に生かして用いなさい。
なので、神の国の奥義を与えられない人というのは外部の人たちのことであり、
不信者のことであり、救いに選ばれていない人のことです。
「ほかの人たち」について次のように説明しています。
マルコは彼らを「外側にいる彼ら」と呼んでいる。神に選ばれた人々に含まれない人たちのことであり、恵みの契約の中にいない人たちである。また、キリストの弟子でもない。
●まとめ
マタイ13:13~16
わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。
13:14 こうしてイザヤの告げた預言が彼らの上に実現したのです。『あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。
13:15 この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』
13:16 しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。
「外部の人たち」が救いに選ばれていないことは、13節以降の脈絡からもわかります。
イエスは、外部の人たちには譬えを使って話しました。
その理由は、その人たちが主に「立ち返り、…いやされることのないため」です。
言い換えると、その人たちが救われることがないように、
神の側でその人たちを霊的に鈍いままの状態にしているということです。
一方、救いに選ばれている人たちは、「幸い」だと言われています(16節)。
イエスを信じ、救われていることは、
神の一方的な選びによる結果であり、恵みなのです。