ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

クリスチャンは旧約の律法を守るべきか?

 
 クリスチャンは、旧約聖書の律法を守るべきでしょうか?十戒も律法の一部ですが、これについてはどうなのでしょうか?

 この記事では、時事問題をたたき台にして考えてみたいと思います。

☆ ☆
 
 先ごろトランプ大統領は、難民一時受け入れ停止の大統領令を出しました。その際、クリスチャンの難民を優先的に米国に受け入れることにしたとのことです。
 
 しかしクリスチャン・トゥデイによると、この大統領令に対してキリスト教団体の間で意見が分かれており、ある団体は評価し、別の団体は批判しています。
 
 批判の一例を抜粋します。
 
一方、福音派の世界組織である世界福音同盟(WEA)は、聖書は「在留異邦人」を「愛し」「虐げてはならない」と教えていると述べ(レビ記19:33~34、マタイ25:34~36)、難民を歓迎するよう呼び掛けた。
 
 
 言うまでもなく、レビ記は旧約(古い契約)です。WEAは、現代のクリスチャンも古い契約を守るべきだと言っているのでしょうか?
 
 
律法は今も有効かつ有益
 
マタイ5:17~19 
わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。
まことに、あなたがたに告げます。天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。全部が成就されます。
だから、戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます。
 
 エスさまは18節で、「天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません」と言っています。
 
「すたれる」と訳されているのはパレルホマイという言葉で、「過ぎ去る、消滅する」という意味です。
 
 こんにち、天地はまだ滅び失せていませんから、律法はまだ存続しており、有効だということです。
 
 
ローマ3:31 
それでは、私たちは信仰によって律法を無効にすることになるのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、律法を確立することになるのです。
 
 上記のパウロの言葉はとても明確です。「律法を無効にするのでしょうか」という設問に対して、「絶対にそんなことはありません」と自答しています。
 
 
2テモテ3:16 
聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
 
 この箇所の「聖書」というのは、第一義的には旧約聖書のことです。パウロがこの手紙を書いたとき、新約聖書はまだ成立していません。
 
 ですからパウロは、旧約聖書はクリスチャンの「教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益」だと言っているのです。
 
 
律法は古びた
 
へブル8:8、13
主が、言われる。見よ。日が来る。わたしが、イスラエルの家やユダの家と新しい契約を結ぶ日が。神が新しい契約と言われたときには、初めのものを古いとされたのです。年を経て古びたものは、すぐに消えて行きます。
 
ローマ6:14 
なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。 
 
 一方、へブル書の著者は、旧約(律法)は「古びた」と言っています。またパウロは、クリスチャンは「律法の下にはない」と言っています。
 
 
使徒15:10~11、19~20 
それなのに、なぜ、今あなたがたは、私たちの先祖も私たちも負いきれなかったくびきを、あの弟子たちの首に掛けて、神を試みようとするのです。私たちが主イエスの恵みによって救われたことを私たちは信じますが、あの人たちもそうなのです。
そこで、私の判断では、神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけませんただ、偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血とを避けるように書き送るべきだと思います。
 
 使徒たちは、クリスチャンが律法を守るべきかについて会議を開きました。ペテロは律法に関して、「先祖も私たちも負いきれなかったくびき」だと言っています。
 
 ヤコブが最後に意見をまとめていますが、それによるとクリスチャンは律法を守る必要がありません。
 
 一見、矛盾するようなことが言われていますが、これをどう理解すればよいのでしょうか?
 
 
まとめ
 
 参考サイトの一つは、次のようにまとめています。
 
律法の戒めは、ためになるもの(instructive)ではあるが、クリスチャンにとって強制的なもの(imperative)ではない。律法は知識を提供するもの(informative)ではあるが、守らなければならない基準(normative)ではない。

律法は古代のイスラエル人に書かれたものであって、クリスチャンのための規範ではない。律法の中のどの戒めがこんにちのクリスチャンに適用されるかを知るには、新約聖書に尋ねなければならない。
 
 

 律法や旧約聖書のその他の書物は、神の御心や神の性質を教えてくれます。しかしクリスチャンは、必ずしもそこに書かれている通りにしなければならないというわけではありません。
 
 十戒には神の御心の基本的なことが表されていますが、第四戒の安息日の規定は、明らかに古代のユダヤ人のためのもので、新約の民は守る必要がありません。

 十戒も私たちにとっては直接の命令ではなく、そこに示されている神の御心を、新約聖書に照らして守ればよいのです。
 
 トランプ大統領の難民政策の話に戻るなら、レビ記の御言葉は、米国民が絶対に守らなければならないというのものではありません。神の御心が表されている箇所として、参考にするというのが正しい姿勢です。
 
 一方、ローマ1317現代社会における政府の役割と、それに対するクリスチャンの義務を教えています。
 
 特に4節には、「彼は神のしもべであって、悪を行なう人には怒りをもって報います」とあり、政府の役割の一つは、国民を「悪を行なう人」から守ることだと教えています。
 
 ですから、大統領令がその役割を果たすものであるなら執行すべきですし、逆にテロからの防備効果が期待できず、難民に与える損害のほうが大きいのであれば修正すべきだということです。

 律法はこんにちも有効であり、すたれていません。パウロは、「教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益」だと言っています。しかし新約の民にとって、絶対に守らればならない規範というわけではないのです。