ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

エルサレム陥落 マタイ22:7~9

 
 イエスによるエルサレム陥落(AD70年)の予告です。
 
 
マタイ22:7~8
王は怒って、兵隊を出して、その人殺しどもを滅ぼし、彼らの町を焼き払った。
そのとき、王はしもべたちに言った。『宴会の用意はできているが、招待しておいた人たちは、それにふさわしくなかった。
 
 
「兵隊」と訳されているのはストラチューマという語で、

「軍隊の分遣隊」を意味します。
 
 岩波翻訳委員会訳は「軍隊」と訳しています。
 
 
そこで王は怒って、自分の軍隊を派遣し、それらの人殺しどもを滅ぼしてしまい、また彼らの都を焼き払ってしまった。
 
 
 このイエスの予告は、AD70年3月~9月の第一次ユダヤ戦争で見事に成就しました。
 
 原文ではストラチューマが複数形で書かれているので、
 
 以下の引用に書かれているティトゥスによる3つの軍団の派兵は、

 エス予告どおりです。
 
 
ティトゥス5軍団マケドニカ12軍団フルミナタ15軍団アポリナリス3つの軍団を市の西面に、10軍団フレテンシスを市の東のオリーブ山に配置し、エルサレムを包囲していた。(強調はブログ主)
 
 
 
さらなる予告
 
 ついでなので、他の箇所にあるエルサレム陥落の予告も見ておきましょう。
 
 イエスは、神殿の崩壊も予告しました。
 
 
マタイ24:1~2 
エスが宮を出て行かれるとき、弟子たちが近寄って来て、イエス宮の建物をさし示した。そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「このすべての物に目をみはっているのでしょう。まことに、あなたがたに告げます。ここでは、石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」
 

神殿の崩壊

フラウィウス・ヨセフスは、ユダヤ人の度重なる攻撃と戦術に怒り心頭となったローマ兵が、ティトゥスの命令を破って神殿に隣接する区画へ火を放ち、それが神殿全体に広がったとしている。
 
ヘロデ大王が築いた巨大なエルサレム神殿第二神殿)をどうするかについては、フラウィウス・ヨセフスによればティトゥスには当初破壊する意思はなく、そのままローマ皇帝ローマの諸神に捧げる神殿へと作り変えるつもりだったと考えられている。しかし神殿に移り始めた火の勢いは留まることを知らず、8月末に完全に倒壊した。この日は奇しくも、ソロモン王の建てた最初のエルサレム神殿が破壊されたティシュアー・ベ=アーブの日であった。このとき焼け残った神殿の壁の一部が、現代ユダヤ人にとっても聖地の「嘆きの壁」である。(強調はブログ主)
 

 
●都全体の破壊
 
 マタイ227の後半で、イエスは王が彼らのを焼き払った言っています。
 
「町」と訳されているのはポリスという言葉で、「都市」という意味です。
 
 聖書の中で「都」といった場合、たいていはエルサレムの都を指します。
 
 この譬え話でも、ポリスはエルサレムを指しています。

 エルサレムが焼き払われるというイエスの予告は、以下のとおり成就します。
 
 ウィキペディアの続きです。
 
 
火はさらに住宅地区へも燃え広がった。ローマ兵は市街地でのユダヤ人たちの抵抗を抑えていった。ユダヤ人たちのうち一部は秘密のトンネルで市内を脱出し、一部はさらに市街地の城壁で囲まれた一角に立て篭もった。この抵抗によりローマ軍の勢いは停止し、また攻城塔を造る羽目になった。
エルサレム市をローマ軍が完全に制圧したのは97のことであった。
 
ただしそれ以外の城壁は掘り崩され、後世にこの場所を訪れる者が、この地に人が住んでいたことを信じられなくなるほどに破壊されたという。フラウィウス・ヨセフスは木々や庭園に囲まれた偉大な都市が全て消えうせ、美しかった郊外が砂漠のようになってしまったことを悲しいことであると書く。(強調はブログ主)
 
 
異邦人の救い
 
マタイ22:9
だから、大通り(の出口に行って、出会った者をみな宴会に招きなさい。
 
 
 最終的には、王による招きは、私たち異邦人に向けられます。
 
 新改訳には訳出されていませんが、
 
 原文には大通りの「出口」を意味するディエクソドスという語が書かれています。
 
 塚本訳はディエクソドスを訳出しています。
 
 
だから町の出口の所に行って、出会った者をだれでもよいから宴会に呼んでこい。
 
 
 大通りの出口は、他の通りと交差していました。
 
 ですから「出会った者」というのは、
 
 他の国々とエルサレムを行き来する異邦人の旅人を指していると考えられます。
 
 王は王子(メシア)の婚宴に、異邦人を招くことにしたのです。 
 
 こうしてユダヤ人の不従順のゆえに、私たち異邦人が恵みを受けました。
 
   
キリスト教徒の皆さんへ

 エルサレム陥落を的中させたイエスは、こうも言っています。


わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。ヨハネ14:6)


 無神論や他宗教ではなく、ぜひイエス・キリストを信じましょう。