ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

ヨブ記37:18は聖書の誤りか? グレッグ・ボイド氏への反論


 米国のキリスト教進歩主義の指導者の一人とされるグレッグ・ボイド博士が、
 
「聖書は誤りを含んでいる」と自ブログでおっしゃっているので反論します。
 

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NT・ライト(左)とグレッグ・ボイド(右)
 
 
注1.「進歩主義(社会正義)『キリスト教』(英語)を開いてスクロールしていくと、「Leaders」のセクションにボイド氏の名が挙げられており、ボイド氏が進歩主義の指導者の一人であることが伺えます。また神学フォーラム」(英語)によると、ボイド氏はNT・ライトと並ぶ「現代で最も影響力のある神学者」と評されています。
 
 
 
●ボイド氏の主張 聖書の中の「前近代的世界観」
 
 ボイド氏は、「古代近東の人々と同じように、ヘブル人は、大空が『鋳た鏡のように堅い』と信じていた」として、ヨブ記37:18を引き合いに出しています。
 
 また、「彼らの見解では、大空は『ドーム』だったからだ」と述べ、「科学が聖書の不正確さを証明している多くの事例の一つである」と批判しています。
 
 
反論
 
ヨブ記37:18 
あなたは、鋳た鏡のように堅い大空を神とともに張り延ばすことができるのか。
 
 
 私は、以下に挙げる理由から、この箇所は聖書の無誤性を否定する根拠として使えないと思います。
 
①この箇所は単なる報告にすぎない
 
 まず初めに、36:1に「エリフはさらに続けて言った」とあるとおり、この箇所はヨブを批判しいているエリフの発言です。
 
 確かに大空は堅くありませんから、エリフの発言は科学的には誤りです。
 
 しかしこの発言は、例えばサタンの発言と同様、神の真理を伝える箇所ではありません
 
 このような発言がなされたことを、聖書が単に報告しているに過ぎません。
 
 なので、この箇所が誤りを伝えていても、聖書が間違っている根拠になり得ません。
 
 
②後代の加筆である疑い 
 
 第二に、この発言は、オリジナルテキストではなく、後代の挿入であるとする見解があります。
 
 旧約聖書の研究者である関根正雄氏は、エリフの弁論部分は「後代の加筆とみなすべき」としています
 
 理由は、①エリフの名前が序文(2:11)にも結び(42:7~)にも登場しないこと
     ②彼の発言にそれ以外の部分より多くのアラム語的要素が含まれていること             
     ③彼の弁論が37章で突如として終わることなどです
 
 特に内的根拠として、以下の箇所では、ヨブのところ来た友人が3人であることが書かれており、エリフはまったく批判者の中に含まれていません
 
 
ヨブ記2:11 
そのうちに、ヨブの三人の友は、ヨブに降りかかったこのすべてのわざわいのことを聞き、それぞれ自分の所からたずねて来た。すなわち、テマン人エリファズ、シュアハ人ビルダデ、ナアマ人ツォファルである。彼らはヨブに悔やみを言って慰めようと互いに打ち合わせて来た。
 
さて、主がこれらのことばをヨブに語られて後、主はテマン人エリファズに仰せられた。「わたしの怒りはあなたとあなたのふたりの友に向かって燃える。それは、あなたがたがわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったからだ。
 
ヨブ記42:9 
テマン人エリファズと、シュアハ人ビルダデと、ナアマ人ツォファルが行って、主の彼らに命じたようにすると、主はヨブの祈りを受け入れられた。
 
 
 これらの理由で、多くの学者が、エリフの発言はオリジナルテキストではないと疑っており、そのような箇所を聖書の無誤性を否定する根拠とするのは妥当ではないと思います。
 

 終わり
 
 
注3:『旧約聖書 ヨブ記』関根正雄訳、岩波書房<岩波文庫>1971年、204
   ウィキペディア「エリフ」より引用
注4:ウィキペディアElihu」(英語)