聖書の詩的象徴表現を科学的誤りとすべきか? グレッグ・ボイド氏への反論 その2
このような主張は正しいでしょうか?
●ボイド氏の主張
第二に、聖書は、地球が敵意のある水に覆われており、宇宙的な怪物の脅威に晒されていると教えていることである。
例えば、詩篇作者は、ヤーウェが「叱る」と、敵意のある水は「逃げる」と称賛している。
ラハブは水中に住む宇宙的生物で、地球全体に脅威を及ぼしている。この神話的概念(mythology)は、古代人にわかり易い言葉で霊的戦いの現実を伝えている。
(しかし)同時に、この世界観は科学的には不正確である。敵意のある水や地球に脅威を及ぼす宇宙的海洋ドラゴンなど存在しない。
こういった教えは、霊的戦いについては不可謬な真理であっても、その宇宙観は科学的に誤りである。
(引用終わり)
●レビヤタンとラハブ
①わにに似た怪獣(ヨブ41:1)
②海で戯れる巨獣(詩篇104:26)
③神に逆らう神話的怪獣(ヨブ3:8)
④神によってさばかれるべき神に敵する勢力としてのエジプト(詩篇74:14)
⑤アッシリヤ、バビロニヤ(イザヤ27:1)を象徴すると思われる動物
ヨブ41:1~34では、レビヤタンは、全身うろこ状の堅い皮で覆われ、釣り上げることも、もり、剣、槍などによって捕獲することも不可能な、他に類を見ない、「誇り高い獣の王」(34節)とされている。
(P1402より、編集・強調はブログ主)
ラハブ
②象徴的には、エジプトに与えられた総称として用いられている(市87:4、89:10)、イザ30:7。
(P1352、編集・強調はブログ主)
●検証と反論
詩篇104:7
水は、あなたに叱られて逃げ、あなたの雷の声で急ぎ去りました。
巨獣に関連する記述も含めて、「霊的戦いについては不可謬な真理」と肯定しつつも、
「敵意のある水や地球に脅威を及ぼす宇宙的海洋ドラゴンなど存在しない」と断定しています。
そして最終的に、聖書の「宇宙観は科学的に誤りである」として聖書の無誤性を否定しています。
①ボイド氏の自己矛盾
ボイド氏の主張には、自己矛盾があります。
ボイド氏は、詩篇104:7に関して「霊的戦いについては不可謬な真理」だと肯定しています。
しかし、この箇所を「霊的戦い」と理解するには、「水」という表現を詩的象徴表現と見なさなればなりません。
「水」という言葉にある、神への敵対勢力という象徴的な含意を理解しているからこそ、「霊的戦い」という理解に至るのです。
それを理解していない人には、この箇所が「霊的戦い」であることすら理解できません。
ましてや、「霊的戦いについては不可謬な真理」という見解に至ることは、理論的に不可能です。
つまりボイド氏は、いったん自分自身で正しく解釈して出した結論(水=神に敵対する勢力)を、「科学的に誤りである」と述べることで自己否定しているわけです。
ご自身でも気づかれていないのかもしれませんが、これは明らかに自己矛盾です。
聖書の無誤性を否定したいがために犯した理論構築上のミスだと思います。
「敵意のある水」が神への敵対勢力だと認めない人は、詩篇104:7の教えは「霊的戦いについては不可謬な真理」だと認めることもありません。
ボイド氏は、水=神に敵対する勢力だと認めているのですから、そのような水は存在しないと言うのは自己矛盾以外の何ものでもありません。
②巨獣たちの実存性
ボイド氏は、レビヤタンやラハブといった巨獣が存在しないと決めつけ、それゆえ、「科学的に誤り」だと結論づけていす。
確かに、そのような生物はこんにち現存していないように思えますし、化石も見つかっていません。
しかし同時に、ボイド氏の結論はあくまで憶測です。
科学的には、レビヤタンやラハブは恐竜であった可能性があります。
その根拠については、コチラの動画をご覧ください。
科学的な見地から存在していた可能性がある生物に関して、ボイド氏のように科学的根拠なくして、いきなり否定してしまうのは学問的に不適切で受け入れられません。
●まとめ
ちなみにボイド氏は、同じブログ記事の中で、聖書に誤りがある3番目の根拠として、次の箇所における「杖」の問題も取り上げています。
マルコ6:8~9
旅のためには、杖一本のほかは、何も持って行ってはいけません。パンも、袋も、胴巻きに金も持って行ってはいけません。くつは、はきなさい。しかし二枚の下着を着てはいけません。
マタイ10:9~10
胴巻に金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません。旅行用の袋も、二枚目の下着も、くつも、杖も持たずに行きなさい。働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです。
ルカ9:3
旅のために何も持って行かないようにしなさい。杖も、袋も、パンも、金も。また下着も、二枚は、いりません。
これらの理由により、私は、ボイド氏の「聖書には誤りがある」という主張には自己矛盾が含まれ、学問的に信頼できないと結論づけます。
終わり