シカゴ声明に関する疑問 その2
「聖書の現象」でもあり、私にとってはシカゴ声明に関する疑問でもある問題について書きます。
●疑問を感じる箇所
6 聖書全体が、またそのあらゆる部分が、原本において、ことばそのものに至るまで、神の霊感によって与えられたということを私たちは主張する。
聖書の霊感は部分部分はぬきにし全体について、あるいは全体についてではなく部分について、主張するのが正しいということを私たちは否定する。
●疑問点/聖書の現象
シカゴ声明「主張と否定の諸条項」第6項には、聖書の「あらゆる部分が、原本において、ことばそのものに至るまで、神の霊感によって与えられた」とあります。
もし、シカゴ声明が正しいとすると、不信者の詩人の言葉は、神の霊感によって与えられたことになります。
しかし、これは大きな問題をはらんでいる可能性があります。
つまり、第6項が正しいなら、当該の不信者の言葉は、霊感を受けた神の言葉だと言うことになるのです。
この疑問は、実際、「聖書の現象」として取り扱われています。
誰が語ったものであろうと、すべての真理は神の真理である。…
しかし聖書は、それらを神の権威ある言葉として引用しているわけではなく、単に真理を含む言葉として引用しているに過ぎない。
霊感を受けていない引用の場合、「主は仰せられる」(イザヤ7:7、エレミヤ2:5)とか、「~と書かれている」(マタイ4:4、7、10)といったフレーズは書かれていない。
そうであっても、真理は真理である。それゆえ聖書の筆者は、聖霊の導きのもと、引用元が何であろうと、用いることができるのである。
(引用終わり)
●シカゴ声明に対する疑問点
私は、上記の解決案は正しいと思います。前回の記事でも、「非信者の言葉を真理として引用している」と述べているとおりです。
しかし、だとすると、問題となるのはシカゴ声明の第6項です。
第6項は、「ことばそのものに至るまで、神の霊感によって与えられた」と述べており、
他方、解決案は、「神の権威ある言葉として引用しているわけではなく」「真理に過ぎない」と述べています。
この2つは、明らかに食い違っているように見えます。
ガイスラー博士は、正しい解決案を示したことによって、シカゴ声明を否定した格好になっているように思えます。
これは、シカゴ声明の第6項に、何らかの欠陥があることを示しているのではないでしょうか?
●私見
ちなみに私の考えは、不信者の言葉の引用部分は、真理を語ってはいるものの、神の霊感は受けていないと思います。
これは例えば、マタイ4章に書かれているサタンの言葉が、神の霊感を受けていないのと似ていると思います。
その場合、引用というよりは報告です。
サタンは偽りの父ですから、基本的には真理を語りません。
マタイは、サタンがそういうことを語ったという事実を報告しているに過ぎず、それ以上の何ものでもありません。
不信者の言葉の引用の場合も、神の霊感を受けているのではなく、真理を告げている情報として、客観的な立場で引用しているのだと思います。
見方を変えれば、ある詩人がコレコレと語っているが、その言葉は的をついている、とパウロが報告していると解釈できないこともありません。
ですから、引用であると同時に、報告として位置付けることも可能かもしれません。
その場合、当該の3カ所は、神の霊感を受けたものとして考える必要はありません。
別の言い方をすると、シカゴ声明の第6項には説明不足の点があり、修正が必要だということになります。
皆さんはどう考えますか?