ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

ワンバース携挙論 イエス・キリスト編 その2


 
 一つの聖句(one verseをきちんと解釈することで、患難前携挙説の真偽を確認します。
 
 前回とり上げたのはマタイ28:20でしたが、今回取り上げる聖句はヨハネ6:40です。
 
                    ***
 
事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。
 
 
 イエスさまはこの箇所で、「終わりの日」にすべての信者を復活させると約束されています。
 
 ギリシャ語テキストで確認すると、「終わりの日」は単数形で書かれています。
 
 
 τῇ   ἐσχάτῃ   ἡμέρᾳ
 冠詞 終わりの  日(単数形)
 
 
 この点は、ヨハネ6:39、6:44、6:54、11:24も同じです(参考:バイブル・ハブ)。
 
 つまりイエスさまは、信者たちを同じ日に「みな/ひとりひとり」(ギ:パス)蘇らせると言っているのです。
 
 しかし、患難前携挙説はエスさまの言葉に矛盾します。
 
 なぜなら患難前携挙説では、①患難期前と②地上再臨後の「第一の復活」(黙示録20:4~6)の2度にわたって信者が復活すると考えるからです。

 逆に言うと、患難前携挙説を肯定するには、イエスさまの「終わりの日によみがえらせます」という言葉を無視しなければならないのです。
 
 
●確認
 
 この見解が正しいことを別の箇所から確認します。

 まず、ヨハネ6:40の「終わりの日」は終末時代という意味ではなく、単一の日を意味します。
 
 なぜかと言うと、時代を指す場合は「終わりの日」が複数形で書かれているからです。
 

2テモテ3:1
終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。
 
へブル1:2
この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。
 
 
 上に挙げた2テモテ3:1とへブル1:2は、終末時代を意味する事例です。
 
 ギリシャ語テキストを見ると、それらの箇所の「終わりの日/時」は次のように書かれています。
 
 
  ἐν    ἐσχάταις    ἡμέραις
~の中で  終わりの   日(複数形)
 
 ἐπ'   ἐσχάτου    τῶν   ἡμερῶν
~の上に 終わりの   冠詞  日(複数形)
 
 
 このことからもわかるとおり、イエスさまは「終わりの時代によみがえらせる」と言っているのではなく、特定の一日にすべての信者を復活させると言っているのです。

 このことから、黙示録20章の「第一の復活」だけが信者の復活の機会であることが確認できます。

 つまり、聖書によると、黙示録20:4が正しい携挙のタイミングということになります。

 そして、黙示録20:4は、キリストが王として統治を開始する時でもあります。

 つまり、キリストの地上再臨の時が携挙のタイミングなのです。


黙示録20:45
また私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行なう権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
そのほかの死者は、千年の終わるまでは、生き返らなかった。これが第一の復活である。
 
 
●確認2
 
ダニエル11:4512:2
45 彼は、海と聖なる麗しい山との間に、本営の天幕を張る。しかし、ついに彼の終わりが来て、彼を助ける者はひとりもない。
1 その時、あなたの国の人々を守る大いなる君、ミカエルが立ち上がる。国が始まって以来、その時まで、かつてなかったほどの苦難の時が来る。しかし、その時、あなたの民で、あの書にしるされている者はすべて救われる。
2 地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者が目をさます。ある者は永遠のいのちに、ある者はそしりと永遠の忌みに。
 
 
 ダニエルは、12:2で信者の復活を預言しています。
 
 一方、11:45では、反キリストによるエルサレム進軍を予告しています。
 
 そして、12:1に「その時」とあるとおり、信者の復活は、反キリストによるエルサレム進軍と同時に起こります。
 
 これは、患難前携挙説の患難期前あるいは患難期初期の信者の復活と大きく食い違います。
 
 しかし、「その時」を地上再臨の時と考えるなら、「第一の復活」と同時になるので辻つまが合います。
 
 これはゼカリヤ14章のエルサレム包囲や、メシアの再臨の描写と完全に一致します。
 
 
ゼカリヤ14:1~4a
1 見よ。主の日が来る。その日、あなたから分捕った物が、あなたの中で分けられる。
2 わたしは、すべての国々を集めて、エルサレムを攻めさせる。町は取られ、家々は略奪され、婦女は犯される。町の半分は捕囚となって出て行く。しかし、残りの民は町から断ち滅ぼされない。
3 主が出て来られる。決戦の日に戦うように、それらの国々と戦われる。
4 その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ
 
 
 この箇所に書かれているとおり、エルサレム包囲と再臨は同時に起こります。
 
 つまり、エルサレム包囲は、携挙と再臨、そして信者の復活が起こる日(終わりの日)に起こるのです。
 
 こうしてヨハネ6:40エスさまが語られた、信者の復活に関する預言的約束が実現するのです。
 
 
●あとがき
 
 このように、イエスさまの御言葉は確かで矛盾がありません。

 患難携挙説は、一片の矛盾もなく聖書と一致します。
 
 しかし患難前携挙説は、人工的なフィクションなので矛盾だらけです。
 
 また患難前携挙説は、患難期における迫害への信仰的備えを阻害します。
 
 終末時代を生きる私たちは、聖書に立ち返るべきです。
 
 終わり