ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

「火によるバプテスマ」と罪の性質 後半

 
 前半では、聖霊バプテスマが「罪の性質」を除去しないことを確認しました。
 
 このことは、次の箇所からも明らかです。 
 
ローマ8:10
もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、霊が、義のゆえに生きています。 
 
 この聖句の「罪」も単数形です。
 
 前半に「キリストがあなたがたのうちにおられる」とあることから、パウロが言及しているのは救われた人についてです。
 
 つまり、個々の罪はすでに十字架で完全に赦されているのです(ローマ8:1)。
 
 ですから、「からだは罪のゆえに死んでいる」という箇所の「罪」が、個々の罪である可能性はありません。
 
 つまり、この「罪」という表現は「罪の性質」という意味で、罪の性質ゆえに信者の体が死んでいる、とパウロは言っているのです。
 
 罪の性質ゆえに体が死んでいるということは、人の中に罪の性質が残っており、それが肉体に今も影響しているということを物語っています。
 
 
ἁμαρτίαν/ハマルティアン、N-AFS/名詞-対格・女性名詞・単数形、バイブル・ハブ参照
 
 
火によるバプテスマとは?
 
 次に、火によるバプテスマの意味を考えます。
 
マタイ3:1012
10 斧もすでに木の根元に置かれています。だから、良い実を結ばない木は、みな切り倒されて、火に投げ込まれます。
11 私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊火とのバプテスマをお授けになります。
12 手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。
 
 
ギリシャ語表現
 
 邦語訳の11節は「水のバプテスマ…」聖霊と火とのバプテスマ…」と訳されていますが、原文を見ると「バプテスマ」という名詞は一切ありません。
 
 代わりにバプティゾー(浸す)という動詞が使われているだけです。
 
 
αὐτὸς   ὑμᾶς    βαπτίσει   ἐν   πνεύματι  ἁγίῳ  καὶ  πυρί
彼は あなたがたを 浸す(未来形)~の中に  霊   聖い  と  火
 
訳:(キリストは)あなたがたを聖霊と火との中に浸すことになる
 
 
 ですから、もし私たちが原文でこの箇所を読むなら、「聖霊と火とによるバプテスマ」という名詞句表現は意識に上らないはずです。
 
 この点からして、「聖霊の火によるバプテスマ」という発想自体がすでに聖書とズレていると言えます。
 
 
②前後の脈絡
 
 次に、「聖霊と火とのバプテスマ」の前後の脈絡を見る必要があります。
 
10節
木の根元に置かれてい
良い実を結ばない木は切り倒され
火に投げ込まれ 
 
12節
手に箕を持っている…「箕」は振るい分けに使う農具で裁きを暗示
脱穀場をすみずみまできよめる…この世に対する徹底した裁き
麦を倉に納め…信者は天国(神の国)に入れる
消えない火で焼き尽く…「消えない火」=地獄の火→不信者は地獄に入れられる
  
 
 これらの表現は、明らかに終末における裁きを示しています。
 
 麦と殻を分けて別々のところに入れるという譬えは、「麦と毒麦の譬え」や「良い魚と悪い魚の譬え」の洗礼者ヨハネ・バージョンとも言えるものだと思います。
 
 これをもって、信者のきよめと解釈するのは、いかがなものでしょうか?
 
 完全な誤りだと言わざるを得ないと思います。
 
 
●余談
 
 因みに、ある牧師さんのサイトには、マタイ3:11に関して次のような見解があります。
 
山岸登師は「マタイによる福音書註解」(エマオ出版)の中で、「聖霊と火とのバプテスマ」という箇所について、αὐτὸς ὑμᾶς βαπτίσει ἐν πνεύματι ἁγίῳ καὶ πυρί: を「聖霊によって、また火によってバプテスマする」と正確に訳すべきであるとしています。前置詞の「エン」が聖霊だけでなく、火にもかかると解釈しています。そのように訳すと、聖霊によってバプテスマ」を授けられるということは、「火によってパプテスマ」を授けられることと同義だということになります。(強調はダビデ
 
 
 この強調したギリシャ語文法の解釈についても検証します。
 
 山岸さんという方は、エン+名詞A+名詞Bという構造の場合、
 
 意味的に、名詞A=名詞Bになるとおっしゃっています。
 
 この考え方は正しいでしょうか?
 
 正しいのであれば、聖霊=火ということになります。
 
 
ルカ7:17
エスについてこの話がユダヤ全土と回りの地方一帯に広まった。
 
 
 この聖句も、エン+名詞A+名詞Bという構成になっています。
 
 
ἐν   ὅλῃ  τῇ  Ἰουδαίᾳ  περὶ  αὐτοῦ  καὶ  πάσῃ   τῇ  περιχώρῳ.
エン 全体 冠詞 ユダヤ 関して  彼に ~と すべて 冠詞 周囲一帯  
  
 
 このように、一つのエンが「ユダヤ全土」と「回りの地方一帯」にかかっており、

 エン+「ユダヤ全土」+「周りの地方一帯」という構造になっています。 

 では、「ユダヤ全土」と「回りの地方一帯」は同義でしょうか?
 
 もちろん、違います。
 
 「ユダヤ全土」と「回りの地方一帯」とでは地理的な位置が違いますし、広さも違う別々の土地です。
 
 とても「同義」ということはできません。
 
 このことからも、「聖霊」と「火」を分けて解釈すべきであることがわかります。
 
 
●まとめ
 
「火によるバプテスマ」というのは終末の裁きのことで、具体的には地獄の火の中に入れられる(浸される)ことを指しています。
 
 聖霊のきよめの働きのことではありません。
 
 終わり