ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

「あなたがた」にまつわるヨハネと私の理解の違い     第一ヨハネ2:27

 
第一ヨハネ2:27・新共同訳
しかし、いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、だれからも教えを受ける必要がありません。この油が万事について教えます。それは真実であって、偽りではありません。だから、教えられたとおり、御子の内にとどまりなさい。
 
岩波翻訳委員会訳
しかし、あなたがたの中には、あなたがたが自ら彼から受けた塗油が留まっており、誰にもせよあなたがたを教える必要はない。かえって彼からの塗油がすベてのことについてあなたがたに教えるのである。それはまた真実であって、偽りではないから、それがあなたがたに教えたとおりに、彼の中に留まっていなさい。
 
 
私の疑問
 
 先日、オーディオバイブルで1ヨハネ2章の朗読を聞いていたとき、227について疑問を持ちました。
 
 はじめ私は、この箇所の「あなたがた」を(無意識のうちに)個人主義的に理解しました。
 
 つまり、聖霊一人ひとりのクリスチャンに対して直接的に「すべてのこと」を教えるのだと理解したのです。
 
 ヨハネによると、クリスチャンには聖霊が内住しているので、「だれからも教えを受ける必要がありません」。
 
 加えて、その聖霊万事(すべてのこと)について」教えてくれます。
 
 ここで疑問が生じました。
 
 もし、これらのことが「真実」なら、そもそもヨハネはなぜこの手紙を書く必要があったのでしょう?
 
 何もせずに聖霊に任せておけば、聖霊が勝手に一人ひとりのクリスチャンにすべてのことを教えてくれます。
 
 世の終わりに反キリストが出現し(2:18)、イエスがメシアであることを否定することも(2:22)、聖霊が勝手に教えてくれたはずです。
 
 もしかしたら、当時のクリスチャンたちは既にそのことを知っていたかもしれません。
 
 ヨハネがわざわざ自らの手で書簡を書き、それらのことを教えたという事実は、かえって自分の主張を否定することになったのではないでしょうか?
 
 そうならなかったとしても、不要なことをしたのではないでしょうか?
 
 上記の聖句を字義通りに受け取るなら、そのような理解になります。
 
 あくまで、個人主義的にそうした場合ですが・・・。
 
 
考えた結果 
 
 私はしばらく考えて、答えが出たように思いました。
 
 まず、「一人ひとりのクリスチャンに」という個人主義的前提は誤りではないかと思いました。
 
 ヨハネは、「一人ひとりのクリスチャン」とは言っていません。
 
 むしろ、「あなたがた」と複数形で表現しています。
 
 これは地上の御体全体を指しているのだと思いました。
 
 そして、そこに含まれる聖書教師や神学者などを通して(エペソ4:11、1コリント12:28)、反キリストを見分けるために必要な「すべてのこと」を聖霊が教えるのだと。
 
 現代の私たちは、聖書中の「あなたがた」という言葉を自分や「クリスチャン一人ひとり」として理解してしまうことがあります。
 
 しかし、ヨハネはそのように考えていませんでした。
 
 彼にとって「あなたがた」とは、御体なる教会を指していたのです。
 
 そのような共同体意識をもって、聖書を読むことが大事だと改めて思わされました。
 
 おわり