「あなたがた」にまつわるヨハネと私の理解の違い 第一ヨハネ2:27
しかし、いつもあなたがたの内には、御子から注がれた油がありますから、だれからも教えを受ける必要がありません。この油が万事について教えます。それは真実であって、偽りではありません。だから、教えられたとおり、御子の内にとどまりなさい。
岩波翻訳委員会訳
しかし、あなたがたの中には、あなたがたが自ら彼から受けた塗油が留まっており、誰にもせよあなたがたを教える必要はない。かえって彼からの塗油がすベてのことについてあなたがたに教えるのである。それはまた真実であって、偽りではないから、それがあなたがたに教えたとおりに、彼の中に留まっていなさい。
●私の疑問
先日、オーディオバイブルで1ヨハネ2章の朗読を聞いていたとき、2:27について疑問を持ちました。
はじめ私は、この箇所の「あなたがた」を(無意識のうちに)個人主義的に理解しました。
ここで疑問が生じました。
もし、これらのことが「真実」なら、そもそもヨハネはなぜこの手紙を書く必要があったのでしょう?
もしかしたら、当時のクリスチャンたちは既にそのことを知っていたかもしれません。
そうならなかったとしても、不要なことをしたのではないでしょうか?
上記の聖句を字義通りに受け取るなら、そのような理解になります。
あくまで、個人主義的にそうした場合ですが・・・。
●考えた結果
私はしばらく考えて、答えが出たように思いました。
ヨハネは、「一人ひとりのクリスチャン」とは言っていません。
むしろ、「あなたがた」と複数形で表現しています。
これは地上の御体全体を指しているのだと思いました。
現代の私たちは、聖書中の「あなたがた」という言葉を自分や「クリスチャン一人ひとり」として理解してしまうことがあります。
しかし、ヨハネはそのように考えていませんでした。
彼にとって「あなたがた」とは、御体なる教会を指していたのです。
そのような共同体意識をもって、聖書を読むことが大事だと改めて思わされました。
おわり