ダビデの日記

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御霊に「満たされた」「感じた」「捕らえられた」    どれが正しいの? 黙示録1:10

 
 黙示録1:104:2は、各邦語訳によって訳語がバラバラです。
 
 この記事では、その相違について考えます。
 
 
●黙示録1:910
 
新共同訳
9 わたしは、あなたがたの兄弟であり、共にイエスと結ばれて、その苦難、支配、忍耐にあずかっているヨハネである。わたしは、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた(エゲノメーン)10 ある主の日のこと、わたしは“霊”に満たされていた(エゲノメーン)が、後ろの方でラッパのように響く大声を聞いた。
 
聖書協会共同訳
9 は、あなたがたの兄弟であり、共にイエスの苦難御国と忍耐にあずかっているヨハネである。は、神の言葉とイエスの証しのゆえに、パトモスと呼ばれる島にいた(エゲノメーン)主の日、私は霊に満たされ(エゲノメーン)、後ろの方でラッパのような大きな声を聞いた。
 
新改訳
9 私ヨハネは、あなたがたの兄弟であり、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐とにあずかっている者であって、神のことばとイエスのあかしとのゆえに、パトモスという島にいた(エゲノメーン)10 私は、主の日に御霊に感じ(エゲノメーン)、私のうしろにラッパの音のような大きな声を聞いた。
 
新改訳2017
ヨハネは、あなたがたの兄弟で、あなたがたとともにイエスにある苦難と御国と忍耐にあずかっている者であり、神のことばとイエスの証しのゆえに、パトモスという島にいた(エゲノメーン)。私は主の日に御霊に捕らえられ(エゲノメーン)、私のうしろにラッパのような大きな声を聞いた。
 
 
 上記の「島にいた」「御霊に満たされ感じ捕らえられ」は、どれもエゲノメーンの訳語です。
 
 訳語のバラつきについては、黙示録4:2も同じです。
 
 
●黙示録4:2
 
新共同訳
わたしは、たちまち“霊”に満たされた(エゲノメーン)。すると、見よ、天に玉座が設けられていて、その玉座の上に座っている方がおられた。
 
聖書協会共同訳
私は、たちまち霊に満たされた(エゲノメーン)。すると、天に玉座あり、に座っている方がおられた。
 
新改訳
たちまち私は御霊に感じた(エゲノメーン)。すると見よ。天に一つの御座があり、その御座に着いている方があり、
 
新改訳2017
たちまち私は御霊に捕らえられた(エゲノメーン)。すると見よ。天に御座があり、その御座に着いている方がおられた。
 
 
 これらの相違は、ギリシャ語エゲノメーン(ギノマイの過去形)の訳し方の違いによるものです。
 
 しかし、「満たされた、感じた、捕らえられた」という日本語は、それぞれ意味が違います。
 
 いったい、どの訳語が正しいのでしょうか?
 
 
考察
 
 まずは、ギノマイの意味を見てみましょう。
 
 ①(人が、事物が)生じる、存在し始める、成る、生まれる、現れる、登場する、来る、ある.②(でき事が)起きる、起こる、始まる、発生する、生じる…③作られる、~される、行われる、制定されている、定められている.④作られてある、存在するに至(ってい)る;                              
               出典:織田昭著「新約聖書ギリシア語小辞典」(P115)
 
 さて、黙示録1:104:2の主語は、いずれも「私」(使徒ヨハネ)です。
 
 ですから、①の人が主語となる訳語を使うのが筋だと思います。
 
 また、黙示録1:9と10で、エゲノメーンの後ろに来るのは「エン テー ネソー/島の中に」と「エン プニューマティ/御霊の中に」というフレーズです。
 
 これらのフレーズに適用可能な訳語は、①の「ある」または「存在し始める」だと思います。
 
 それゆえ、黙示録1:9と10を直訳すると、それぞれ次のようになるでしょう。
 
 
「私はエスの証しのためにパトモスと呼ばれる島の中にいた」

 または、日本語としては不自然ですが、「…島の中に存在し始めた」(9節)
 
「私は、主の日に御霊の中にいた」または「御霊の中に存在し始めた」(10節)
 
 
 著者のヨハネは、このような意図で書いたのだと思います。
 
 黙示録4:2についても、同じ訳語を当てはめればよいと思います。
 
私は、たちまち御霊の中に存在し始めた」
 
 
邦語訳の背景にある考え 
 
 それでは、なぜ各邦語訳は「満たされた、感じた、捕らえられた」とバラバラの訳語になったのでしょうか?
 
 その理由については、以下のNETバイブルの注釈がヒントになるかもしれません。
 
Orin the spirit.”“Spiritcould refer either to the Holy Spirit or the human spirit, but in either case John was ina state of spiritual exaltation best described as a trance(R. H. Mounce, Revelation [NICNT], 75).
「御霊の中に」の別訳:「霊の中に」。「霊」という言葉が指すのは聖霊または人の霊である。しかし、いずれにしても、ヨハネは「恍惚とも言うべき霊的高揚状態」にあったのだ。(マウンス著「黙示録注解」NICNT発行、P75)
                           NETバイブル黙示録4章
 
 邦語訳の翻訳者たちも、恐らくNETバイブルのような見方をしたのだろうと推察します。
 
 ヨハネが恍惚状態にあったことを表現するために、「御霊に満たされた、感じた、捕らえられた」と訳したのでしょう。
 
 これは、もはや直訳とは言えません。
 
 完全に意訳です。
 
 
●おわりに
 
 そういうわけで、「どの訳語が正しのか?」という質問自体が正しくないかもしれません。
 
 正しいか否かを問うのではなく、「あなたは、どの意訳がお気に入りですか?」と訊くのが筋だと思います。
 
 因みに、「御霊に満たされ」という表現を見て、使徒2:4を想起した方もおられるかと思います。
 
使徒2:4
すると、みなが聖霊満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
 
 
 しかし、この箇所の「満たされ」に使われているのは、まったく別のプレーソーという言葉です。
 
 エゲノメーンではありません。 
 
 さて、話が逸れてしまったので無理やりまとめます。
 
 私が気に入ったのは、どの訳文でもありません。
 
 そこで、私訳をもって終わりたいと思います。
 
 
黙示録1:10
私は主の日に御霊の中置かれた。そして、背後にラッパのような大きな声を聞いた。
 
黙示録4:2
私はたちまち御霊の中に置かれた。すると、見よ。天に御座があり、その御座に着いている方がおられた。
 
 
 おわり