本末転倒
それでは、神は「五役者の働き」を回復しようとしておられるのでしょうか。私が思うに、この質問自体に誤りがあります。本末転倒なのです。エペソ4章で述べられているイエスの昇天による賜物とは、賜物を授けられた人々のことです。神はそれらの人々を贈り物としてキリストのからだに与えました。彼らは自然に興された人々で、有機的な教会の中で生み出された副産物なのです。
新約聖書中には、20種類の賜物について書かれています。もしクリスチャンの一群が、(教義や神学的な制度や儀式ではなく)イエス・キリストのみを土台にして集まるなら、そしてその一群が聖職者制度を採用せずに歩むなら、その群れは最終的に、キリストのからだに存在するすべての種類の賜物と、賜物を与えられた人々とを生み出すことになるでしょう。
パウロがキリストのからだの機能を説明するために人間の身体を例えにしていることは、理に叶っているのです。例えば、赤ちゃんが生れたとしましょう。その赤ちゃんには、まだ身体能力がほとんどありません。赤ちゃんは自転車に乗れませんし、足し算や引き算もできません。フォークやナイフを使って食べることもできません。
けれども赤ちゃんは、それらの能力を発達させるためのDNAを宿しています。ですから栄養を適切に与えさえすれば、そのうちそれらの能力は自然に発達します。赤ちゃんは自然に成長して能力を身に付けるわけです。どうしてでしょうか。それは、赤ちゃんが人間として生れたという自然の成り行きにすぎません。つまり能力というのは、人間のいのちによる産物なのです。
同様に、オーガニックな教会が誕生した場合も、それ自体の中に霊的なDNAを所有しおり、イエス・キリストのうちにあったすべての賜物が兼ね備わっているのです。しかしそれらの賜物が発達し、表に現れるには時間がかかります。(残念なことに、こんにちの働き人の多くは、この霊的原則を理解していません。よって彼らは、未成熟な状態のまま賜物を強制的に運用し、奉仕しようと試みています。)
それでは、何が必要なのでしょうか。「五役者の働き」の回復ではありません。オーガニックな教会です。こんにち(過去においてもそうだったのですが)、神が回復しようとしているのは、まさにこれなのです。
ですから、私たちが神の視点で教会形成の仕組みを理解し、教会の育て方、維持の仕方を見出すなら、キリストにあるすべての賜物の回復も実現するのです。しかも本来の現れ方でそれが起こります。
私は過去20年余りの間、オーガニックな教会に集ってきました。そして驚くべき発見をしました。それはオーガニックな教会では、聖霊の賜物の働き方が、組織的な教会の場合とかなり違うということです。たとえば預言の賜物ですが、オーガニックな教会で培われた預言の働きは、カリスマ/ペンテコステ教会で見られる預言とは、語り方が相当違います。(カリスマ/ペンテコステ教会の場合、概して他者の預言の仕方をまねています。)
1980年代、私は自然発生的なオーガニック教会に集っていました。当時集まっていた人のほとんどは、カリスマ/ペンテコステの背景を持っていました。ですから霊的賜物の使い方も、その背景となっていた教会をモデルにしていました。何年かたってから、反カリスマ/ペンテコステの背景を持つクリスチャンのグループが私たちの教会に加わりました。それによって、私たちはジレンマに直面したのです。
起こるべくして起きた教会分裂ののち、主は恵みをもって私たちに語ってくださいました。双方のグループとも、霊的賜物に関する自分たちの神学的立場や用い方を十字架のもとに置き、明け渡すようにと。それは難しいことでしたが、私たちは、霊的賜物に関する考えと運用を葬り去りました。そして1年後、驚くべきことが起きたのです。
聖霊の賜物が集会の中でよみがえったのです。ところが賜物の現れ方が、誰もいまだかつて見たことのない、これまでとは大きく異なる現れ方だったのです。カリスマ/ペンテコステ的な提示の仕方は、微塵も残っていませんでした。残っていたのは純粋な聖霊の顕われで、キリストに栄光を帰し、キリストを解き明かし、キリストを高く引き上げる働きをしていました。その結果、二つのグループは一つになり、聖霊の働きを共有するようになったのです。
●問題の核心
私たちのとるべき道は、どちらでしょうか。オーガニックな集会を行なう方法を真剣に捜し求めるか、あるいは今後も200年間、新約聖書の原則を無視して、今までのように「五役者の働き」がいつの日か回復することを希望(そして預言)しながら進んでいくか。
繰り返しますが、エペソ4章の賜物を勃興させるために神が選ぶ方法は、まずオーガニックな教会を回復するということです。誰かが本を書き、イエスが昇天した際に注いだ賜物はもうすぐ回復すると預言したところで、それらの賜物は手品のように現れたりはしません。それとも、誰かが「第一の使徒」とか「最後の使徒」とか「新しい使徒」などと自称しさえすれば、その賜物は回復する、と思い込むべきなのでしょうか。違います。
本当の使徒、預言者、伝道者、羊飼い/教師は、オーガニックな教会の中で賜物を授かった一人の兄弟(あるいは姉妹)として成長します。それもリーダーとしてしてではなく、他の兄弟姉妹と平等の立場にある者としてです。彼らは教会の中で成長するため、試しを通されますし、神の御国と主の子供たちに対して危険をおよぼさない人物であることも証明されます。彼らの際立った特徴は、キリストに栄光を帰し、キリストを表し、キリストを提示し、キリストを崇めることです。そして、類まれな深みと実践的な経験によって、キリストの働きを目に見える形でもたらすことです。
エペソ4章に書かれている賜物は、そのような特徴を受け継いできました。それは1世紀の使徒、預言者、伝道者、羊飼い/教師たちにも、すべて当てはまります。何の変更もないのです(ヘブル13:8)。
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新約聖書中には、20種類の賜物について書かれています。もしクリスチャンの一群が、(教義や神学的な制度や儀式ではなく)イエス・キリストのみを土台にして集まるなら、そしてその一群が聖職者制度を採用せずに歩むなら、その群れは最終的に、キリストのからだに存在するすべての種類の賜物と、賜物を与えられた人々とを生み出すことになるでしょう。
パウロがキリストのからだの機能を説明するために人間の身体を例えにしていることは、理に叶っているのです。例えば、赤ちゃんが生れたとしましょう。その赤ちゃんには、まだ身体能力がほとんどありません。赤ちゃんは自転車に乗れませんし、足し算や引き算もできません。フォークやナイフを使って食べることもできません。
けれども赤ちゃんは、それらの能力を発達させるためのDNAを宿しています。ですから栄養を適切に与えさえすれば、そのうちそれらの能力は自然に発達します。赤ちゃんは自然に成長して能力を身に付けるわけです。どうしてでしょうか。それは、赤ちゃんが人間として生れたという自然の成り行きにすぎません。つまり能力というのは、人間のいのちによる産物なのです。
同様に、オーガニックな教会が誕生した場合も、それ自体の中に霊的なDNAを所有しおり、イエス・キリストのうちにあったすべての賜物が兼ね備わっているのです。しかしそれらの賜物が発達し、表に現れるには時間がかかります。(残念なことに、こんにちの働き人の多くは、この霊的原則を理解していません。よって彼らは、未成熟な状態のまま賜物を強制的に運用し、奉仕しようと試みています。)
それでは、何が必要なのでしょうか。「五役者の働き」の回復ではありません。オーガニックな教会です。こんにち(過去においてもそうだったのですが)、神が回復しようとしているのは、まさにこれなのです。
ですから、私たちが神の視点で教会形成の仕組みを理解し、教会の育て方、維持の仕方を見出すなら、キリストにあるすべての賜物の回復も実現するのです。しかも本来の現れ方でそれが起こります。
私は過去20年余りの間、オーガニックな教会に集ってきました。そして驚くべき発見をしました。それはオーガニックな教会では、聖霊の賜物の働き方が、組織的な教会の場合とかなり違うということです。たとえば預言の賜物ですが、オーガニックな教会で培われた預言の働きは、カリスマ/ペンテコステ教会で見られる預言とは、語り方が相当違います。(カリスマ/ペンテコステ教会の場合、概して他者の預言の仕方をまねています。)
1980年代、私は自然発生的なオーガニック教会に集っていました。当時集まっていた人のほとんどは、カリスマ/ペンテコステの背景を持っていました。ですから霊的賜物の使い方も、その背景となっていた教会をモデルにしていました。何年かたってから、反カリスマ/ペンテコステの背景を持つクリスチャンのグループが私たちの教会に加わりました。それによって、私たちはジレンマに直面したのです。
起こるべくして起きた教会分裂ののち、主は恵みをもって私たちに語ってくださいました。双方のグループとも、霊的賜物に関する自分たちの神学的立場や用い方を十字架のもとに置き、明け渡すようにと。それは難しいことでしたが、私たちは、霊的賜物に関する考えと運用を葬り去りました。そして1年後、驚くべきことが起きたのです。
聖霊の賜物が集会の中でよみがえったのです。ところが賜物の現れ方が、誰もいまだかつて見たことのない、これまでとは大きく異なる現れ方だったのです。カリスマ/ペンテコステ的な提示の仕方は、微塵も残っていませんでした。残っていたのは純粋な聖霊の顕われで、キリストに栄光を帰し、キリストを解き明かし、キリストを高く引き上げる働きをしていました。その結果、二つのグループは一つになり、聖霊の働きを共有するようになったのです。
●問題の核心
私たちのとるべき道は、どちらでしょうか。オーガニックな集会を行なう方法を真剣に捜し求めるか、あるいは今後も200年間、新約聖書の原則を無視して、今までのように「五役者の働き」がいつの日か回復することを希望(そして預言)しながら進んでいくか。
繰り返しますが、エペソ4章の賜物を勃興させるために神が選ぶ方法は、まずオーガニックな教会を回復するということです。誰かが本を書き、イエスが昇天した際に注いだ賜物はもうすぐ回復すると預言したところで、それらの賜物は手品のように現れたりはしません。それとも、誰かが「第一の使徒」とか「最後の使徒」とか「新しい使徒」などと自称しさえすれば、その賜物は回復する、と思い込むべきなのでしょうか。違います。
本当の使徒、預言者、伝道者、羊飼い/教師は、オーガニックな教会の中で賜物を授かった一人の兄弟(あるいは姉妹)として成長します。それもリーダーとしてしてではなく、他の兄弟姉妹と平等の立場にある者としてです。彼らは教会の中で成長するため、試しを通されますし、神の御国と主の子供たちに対して危険をおよぼさない人物であることも証明されます。彼らの際立った特徴は、キリストに栄光を帰し、キリストを表し、キリストを提示し、キリストを崇めることです。そして、類まれな深みと実践的な経験によって、キリストの働きを目に見える形でもたらすことです。
エペソ4章に書かれている賜物は、そのような特徴を受け継いできました。それは1世紀の使徒、預言者、伝道者、羊飼い/教師たちにも、すべて当てはまります。何の変更もないのです(ヘブル13:8)。
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