ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

最終回-ベタニヤには引力がある-

最後のお勧めをしようと思います。

使徒の働き1章に、イエスの昇天に関する別の記事があります。イエスが天に昇ったのち一人の天使が、イエスは昇って行ったときと同じ方法で戻ってくると弟子たちに語っています。

ゼカリヤ14章の預言を見ることで、このことを更に詳しく理解できると思います。それによると、再臨の際に、主の足はオリーブ山の上に立ちます。

さて、ここで質問です。

この預言は、再臨の主が、昇天したのと同じ場所、つまりオリーブ山の上にあるベタニヤに戻ってくると述べていますが、ここに込められているメッセージは一体何でしょうか。

それは、主が慕い求めておられるのは霊的なベタニヤであると言っているのではないでしょうか?そのような教会を求めて主は戻って来られる。この預言が暗示しているのは、そういうことではないでしょうか?

恐らく、ここに込められているメッセージはこうです。「ベタニヤには主を引き寄せる引力がある。」

主が地上をご覧になり、霊的ベタニヤが地上一帯を覆っているのを見るとき、主はご自分の民を慕い求めて地上に戻って来られるのです。なぜなら彼らこそ、主を受け入れる民だからです。そしてその時、主はすべてのものの上に立つかしらとして、この地球を統治するのです。


●まとめ

ベタニヤは主にとって、掛け替えのない場所でした。そしてベタニヤの精神は、こんにちも一群のクリスチャンたちの中に宿っており、今も主にとって掛け替えのないものなのです。

ベタニヤとは、主が求めている教会象を表しています。神は、この地上の至るところにベタニヤが興されることを願っておられます。「ベタニヤたれ」との呼び掛けこそ、この時代に生きるあらゆるクリスチャンにとって、最も重要な呼び掛けです。

全地は、神の御子を部分的にではなく完全な形で受け入れるクリスチャンの一群が、至るところに興されることを待ち望んでいます。キリストを、自分たちの集会のかしらとする集団を待ち望んでいます。全地が待ち望んでいるのは、牧師でもなく長老会でもありません。コミュニティーとして生きる人々。イエスをすべての中で最優先する群れ。イエスを最高位に置き、中心にすえるクリスチャンの一群。神と兄弟姉妹とに、まったき献身をする人々。自分たちの時間と人生を、主のゆえに「無駄」にできる者たちです。

全地は、そのような人々を待ち望んでいるのです。

願わくは、主がそのような人々を見出すことができますように。主が安らぐことのできるベタニヤを、地上の至るところに・・・。


あなたはどうですか?

ベタニヤの一員となるために、犠牲を払いますか?



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