ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

昇天の賜物

ある地域教会において昇天の賜物が自然な形で現れてきた場合、その中心的な働きは、信者たちに霊的な糧を与えることと、彼らを励ますことです。そしてそれは、信者たちが成熟し、一致し、万人祭司の機能を果たすためにほかなりません。

今から私は、いわゆる「五役者の働き」を解明し、1世紀の教会において昇天の賜物がどのように機能していたかの解説を試みようと思います。

使徒
使徒とは、ある地域から別の地域へと旅をしながら教会を開拓する巡回奉仕者でした。この教会開拓者たちは賜物に極めて恵まれた人たちで、神と、ある特定の教会とによって遣わされて新たに教会を開拓し、それを整える役割をしいていました。彼らは教会を生み出し、それを成長させました。また、生み出された教会がひとり立ちできるように手助けしました。使徒たちはオーガニックな教会生活の中で非指導者として育ち、後になると同じようなタイプの教会を開拓するために遣わされていきました。彼らは自分たちが開拓した教会を組織化したり、儀式化したりせず、そのまま後に残して立ち去っていきました。

預言者
預言者とは、キリストから明確なビジョンを受けており、それをわかりやすく伝えることのできる人たちでした。彼らは主からの言葉を即興で捉え、それを教会に語りました。時には単純にキリストを証しして、教会に励ましと霊的示しと慰めを与えました。またある時には、彼らの言葉によって教会にビジョンがもたらされました。神のみこころが人々に忘れ去れている時には、それを回復するよう努めました。預言者たちは時として、信者たちに自分の賜物や召命を認識させたり、将来の試練に向けて教会に備えをさせる働きをしました。

●伝道者
伝道者たちは、失われた人々に福音を伝える模範を示しました。彼らは恐れを知らない人たちで、凄まじい大胆さをもって未信者たちにキリストを語ることができました。救われていない魂に対して、真実な救霊の情熱を持っていました。こんにちで言うと、生まれながらのセールスマン(もちろん正直な人物でなければいけませんが)を伝道者にたとえることができるかと思います。

●羊飼い/教師
羊飼いと教師は、一つの賜物の表と裏です。エペソ4:11で、使徒預言者と伝道者はそれぞれ個別に述べられていますが、羊飼いと教師は一続きの単語として書かれています。さらに詳しく説明すると、使徒預言者と伝道者の場合は、それぞれの前に「幾人か」という単語がついていますが、羊飼いと教師の場合は、(それら二つに対して)「幾人か」という単語が一つだけしかついていません。このことは、羊飼いと教師が一つの賜物であることを示しています。

この羊飼い/教師の中心的な働きは、個人的な試練の中にいるクリスチャンを助け(=牧会、shepherding)、みことばの解き明かし(=教え、teaching)によって教会を啓発し、教会の霊性を高める働きをしていました。牧会は個人向けの働きであり、教えは公の働きであったわけです。羊飼い/長老は、こんにち的に言うなら、教えをすることができるクリスチャンカウンセラーといったところでしょう。

これら昇天の賜物のうちのいずれも、教会の集会で権威を振るうことはありませんでした。彼らは兄弟姉妹の一人として、役割を果たしているに過ぎませんでした。この観点からすると、1世紀の教会では、例えば「使徒デラコリアス・エップ」であるとか、「女預言者パメラ・ジョーンズ」だとか、「伝道者タリアナ・ダンソン」などと、タイトルを見せびらかすようなことはなかったのです。このように敬称や職というものは、初期のクリスチャンたちには無縁のものでした。


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