ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

召しに応える

私の心にある重荷は、いつの日か回復されると考えられている「五役者の働き」に、主の民がこだわらなくなることです。かえって、神が本来願っている教会の姿を発見することに専念してほしいと思っています。それを発見すると、その人々はある決断を迫られるでしょう。それは、イエス・キリストがすでに定めておられる方法で、キリストのみを求めて集会をする召しに応えるか、あるいは人間的な伝統につながれたままとどまるかの選択です。

もし前者をとるなら、とてつもない犠牲を払うことになります。しかし最終的にキリストにあるすべての賜物が、キリストがデザインしたオーガニックな方法で現れ出てくるでしょう。そしてそれらの賜物は、みからだ全体の働きを不法に占有したり、薄弱にしたりすることは決してありません。

使徒預言者、伝道者、羊飼い/教師への召しを感じているすべての人が、それらの働きは1世紀において、また神の思いの中において、元来どういうものであったかを、心を静めてもう一度、検証してくださるよう願うものです。それが実現するなら、召されている人たちの多くは、これまでとはまったく異なる方向に導かれていくでしょう。そしてその方向に進むなら、それらの人々は、これまで重んじられてきた伝統や、主流を占めてきた概念を、必ず打ち破ることになります。そうするほかに、神の家を大幅に回復する道はないのです。


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