ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

すべての道で主を認めよ

「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」  箴言3:6


私たちの人生には、いろいろと納得のいかないことや辛いことがある。「神はなぜこんなことが起こるのを許したのか」と問いたくなるような辛いことがある。そういう問題に関して、私たちクリスチャンはどう考えればいいのだろうか。その答えを、聖書から考察してみたい。


●ヨセフ
ヨセフの人生には不条理なことが度々起きた。いくつかある中で、彼の人生を辛くした最大の出来事は、兄弟たちによって奴隷として売られてしまったことだ。それを皮切りに、彼の人生に次々に不運なことが起こった。

しかしヨセフは信仰者であった。彼が最終的にたどり着いた確信は、創世記45章に書かれている。

「だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。」(8節)

普通なら、徹頭徹尾、兄弟のせいだと考え続け、兄弟を恨むだろう。しかしヨセフは、あのなんとも悲惨なはかりごとの中に、神(の計画)を認めていた。確かに悲惨なことが起こったのであるが、それは神がしたことだったとヨセフは言っている。神の側に理由があって、「私をここに遣わした」と。


箴言
ここで冒頭の箴言の御言葉を考えたい。英語では以下のように訳されている。

In all your ways acknowledge Him. And He will make your paths straight. (NASB)

「あなたのすべての道において、主を認めよ。そうすれば主はあなたの道をまっすぐにされる。」(直訳)


道・・・

つまり私たちが今まで歩んできた行程であり、今現在歩んでいる行程であり、これから歩むであろう行程である。それらすべてにおいて、主を認めよと聖書は教えている。
私たちは、過去・現在・未来におけるすべての出来事において、主を認めるべきなのだ。


●Mさん
私の友人に、Mさんという兄弟がいる。彼は小児麻痺をもって生れてきた。そのため足が不自由だ。

障害があるために、子供の頃から様々な苦しみを通ってきた。家庭でも、学校でも、職場でも。

しかしクリスチャンになったとき、神が走馬灯のように、過去のいろいろな苦しみの場面を瞬時に見せてくださったそうだ。

その体験を通してMさんは、小児麻痺を含めて、神がはじめから自分の人生に働いておられたことを悟ることができた。そして、筋ジストロフィーなどの苦しみ中にある人たちを訪れ、励ますようになった。そうするために神が自分に障害を許されたと証ししてくれた。

実に素晴らしい信仰だと思う。自分の人生に許された困難が、完全に光に変えられているではないか。彼はまさに、自分の障害の中に神を認めているのだ。


●適応
私たちはしばしば過去を振り返って、こうつぶやく。

「なぜ私はこんな境遇に生れたのだろう。」

「なぜあの時、あんなひどいことが起こったのだろう。」

「あの失敗さえなければ・・・。」

また現状を見て、「あいつが悪い」「会社が悪い」「社会が悪い」と誰かのせいにする。

そして将来を考えて悲観する。

しかしもしヨセフやMさんならば、それらすべてのことの中にも神の計画があると言うだろう。

私たちも、ヨセフやMさんの信仰に倣おうではないか。

人のせいにしたり、社会のせいにしたりするのではなく、自分の生い立ちの中に、いま置かれている境遇の中に、直面している問題や困難の中に、そして将来に、神(の計画)を認めよう。

そうすれば主は、あなたの道をまっすぐにしてくださる。


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