■キリストをかしらとするなら パートⅠ■
●御言葉
「しかし、もしみなが預言をするなら・・・心の秘密があらわにされます。そうして、神が確かにあなたがたの中におられると言って、ひれ伏して神を拝むでしょう。」 汽灰螢鵐硲隠粥В横粥腺横
●教会=キリストの一部
聖書は教会とキリストを同一視している。
例えば使徒9:4でサウロが迫害していたのは教会であるが、イエスは「なぜわたしを迫害するのか」と言っている。汽灰螢鵐硲検В隠欧妊僖Ε蹐癲◆峽残錣燭舛紡个靴萄瓩鯣箸掘彼らの弱い良心を踏みにじるとき、キリストに対して罪を犯しているのです」と言っている。汽灰螢鵐硲隠押В横靴蓮屬△覆燭たはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです」と言っている。神の目には、教会はキリストの一部なのである。
●キリストと同じように機能する
教会がキリストに従っているなら、特に意識していなくても、教会はキリストの働きを自然に現すものだ。キリストの働きはいろいろあるが、上記の箇所は「預言」という働きについて述べている。
教会が預言をするなら、集会にやって来た未信者でさえ、心の秘密があらわにされて、クリスチャンたちの中に神がおられることがわかる。いやそれだけではない、その神を礼拝すると言っている。これは、まさにサマリヤの女(ヨハネ4:7~19)やナタナエル(ヨハネ1:43~49)に対するイエスそのものである。
●私の体験
ある日曜日、イリエ・コロアマさんというルーマニア人の預言者が教会に奉仕に来てくれた。彼はルーマニアがまだ共産主義だった頃、地下教会のリーダーをしておられ、100以上の教会を開拓したという主のしもべである。彼についてはこちらのホームページを参照 http://www.redeemthetime.com/IlieCoroama.htm。ここに写っている眼鏡を掛けた方がイリエさんだ。
私は恵みによって、通訳をおおせつかった。預言のミニストリーを受けるために、教会の兄弟姉妹たちは列に並んで順番を待っていた。H兄の番が来た。この兄弟は、たばこが止められないという問題を持っていた。イリエさんは、兄弟が近づいて来るや否や、その問題をズバリ言い当てた。もちろん二人はその時が初対面であるし、ひとり一人の問題に関して事前の通告などはまったくされていない。それは通訳であった私が証言できる。
問題を言い当てられたH兄は、やっぱりバレタかという面持ちで照れくさそうにしていたが、当のイリエさんは厳しく真剣な表情で兄弟を戒めておられた。私は、神は私たちひとり一人のことを何でも知っておられると実感した。
キリストは救い主であるとともに、預言者でもあった。従って、教会がキリストをかしらとし、真にキリストに従うなら、人々の心の秘密があらわにされて、未信者が「神が確かにあなたがたの中におられる」と言って神を信じるようなみわざさえ起こり得る。
●こんにちでも可能
そのような有機的なキリストの働きが、1世紀の教会には現れていた。こんにちでも、真にキリストをかしらとして従うなら、新約聖書に書かれている通りの教会を形成できる。私たちは、新約聖書を読んでいるとき、「ここに書かれていることは、遠い昔の教会で起きていた-こんにちはもう起こらない-特別なこと」と無意識に思っていないだろうか。だとしたら、大きな間違いである。イエス・キリストはきのうも、きょうも、いつまでも同じだからだ。
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「しかし、もしみなが預言をするなら・・・心の秘密があらわにされます。そうして、神が確かにあなたがたの中におられると言って、ひれ伏して神を拝むでしょう。」 汽灰螢鵐硲隠粥В横粥腺横
●教会=キリストの一部
聖書は教会とキリストを同一視している。
例えば使徒9:4でサウロが迫害していたのは教会であるが、イエスは「なぜわたしを迫害するのか」と言っている。汽灰螢鵐硲検В隠欧妊僖Ε蹐癲◆峽残錣燭舛紡个靴萄瓩鯣箸掘彼らの弱い良心を踏みにじるとき、キリストに対して罪を犯しているのです」と言っている。汽灰螢鵐硲隠押В横靴蓮屬△覆燭たはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです」と言っている。神の目には、教会はキリストの一部なのである。
●キリストと同じように機能する
教会がキリストに従っているなら、特に意識していなくても、教会はキリストの働きを自然に現すものだ。キリストの働きはいろいろあるが、上記の箇所は「預言」という働きについて述べている。
教会が預言をするなら、集会にやって来た未信者でさえ、心の秘密があらわにされて、クリスチャンたちの中に神がおられることがわかる。いやそれだけではない、その神を礼拝すると言っている。これは、まさにサマリヤの女(ヨハネ4:7~19)やナタナエル(ヨハネ1:43~49)に対するイエスそのものである。
●私の体験
ある日曜日、イリエ・コロアマさんというルーマニア人の預言者が教会に奉仕に来てくれた。彼はルーマニアがまだ共産主義だった頃、地下教会のリーダーをしておられ、100以上の教会を開拓したという主のしもべである。彼についてはこちらのホームページを参照 http://www.redeemthetime.com/IlieCoroama.htm。ここに写っている眼鏡を掛けた方がイリエさんだ。
私は恵みによって、通訳をおおせつかった。預言のミニストリーを受けるために、教会の兄弟姉妹たちは列に並んで順番を待っていた。H兄の番が来た。この兄弟は、たばこが止められないという問題を持っていた。イリエさんは、兄弟が近づいて来るや否や、その問題をズバリ言い当てた。もちろん二人はその時が初対面であるし、ひとり一人の問題に関して事前の通告などはまったくされていない。それは通訳であった私が証言できる。
問題を言い当てられたH兄は、やっぱりバレタかという面持ちで照れくさそうにしていたが、当のイリエさんは厳しく真剣な表情で兄弟を戒めておられた。私は、神は私たちひとり一人のことを何でも知っておられると実感した。
キリストは救い主であるとともに、預言者でもあった。従って、教会がキリストをかしらとし、真にキリストに従うなら、人々の心の秘密があらわにされて、未信者が「神が確かにあなたがたの中におられる」と言って神を信じるようなみわざさえ起こり得る。
●こんにちでも可能
そのような有機的なキリストの働きが、1世紀の教会には現れていた。こんにちでも、真にキリストをかしらとして従うなら、新約聖書に書かれている通りの教会を形成できる。私たちは、新約聖書を読んでいるとき、「ここに書かれていることは、遠い昔の教会で起きていた-こんにちはもう起こらない-特別なこと」と無意識に思っていないだろうか。だとしたら、大きな間違いである。イエス・キリストはきのうも、きょうも、いつまでも同じだからだ。
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