ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

携挙と救いの関係(その3)

「終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです」


この4番目の説明では、汽灰螢鵐硲隠機В毅亜腺毅欧北瓩蠅燭い隼廚い泙后この箇所の直前に、最初のアダムによる土の種族と、最後のアダムによる天の種族に関する箇所があり、密接な関係があるからです。


この箇所は私たちが扱っているテーマにとって、最も大切な箇所です。というのは、汽謄汽蹈縫隠粥В隠供腺隠靴砲禄颪れていない、生きて残っている聖徒に起こる出来事に関する詳細が、かなり正確に描写されているからです。つまり、私たち、生きている聖徒は、引き上げられて主と一緒になる前に、栄光の体に変えられるということです。これは、「血肉」の状態から、朽ちることのない不死の状態への変化です。そしてそれこそが、この聖句の中心的なテーマなのです。


このことを覚えつつ、次のことを考えてください。キリストの復活は、すべての死んだ信者にとって、よみがえりの保証です(汽灰蝪隠機В横亜法再臨の際に、キリストに属している者たちがよみがえります(汽灰蝪隠機В横魁法H爐蕕蓮朽ちない体によみがえります。それは栄光と力の体であり、「御霊のからだ」です(汽灰蝪隠機В械機腺苅粥法


彼らは天上の人、つまり「天から出た者」に似た姿をしているのです。それは彼らが主の家系に属しているからであり、主のいのちと性質を持っているからです(汽灰蝪隠機В苅機腺苅后法さて、もし「私たち」生きている聖徒が、朽ちることのない神の御国を相続するのであれば、御国は、死からよみがえった聖徒たちも相続するわけですから、ある事柄が必要になります。ある事柄とは、汽灰蝪隠機В毅院腺毅欧留鋧舛瞭睛討任后


「聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。」


2つの節の全文を引用しました。というのは、私たちの聖書では2つの節に分割されていますが、原典ではこの2つの節は一続きの文だからです。


この文の中には、いくつかの重要事項がわかりやすく書かれています。



1.「私たち」という言葉が、広義のキリスト者を意味するものとして使われています。


2.選ばれた一部のクリスチャンだけではなく、「私たち」の全員が変えられます。


3.全員の変貌は、瞬時に起こります。「たちまち、一瞬のうちにです」。


4.この全員の変貌は、特定のタイミングで起こります。「終わりのラッパ」でです。



それではここで、携挙、つまり聖徒が変えられた状態で引き上げられるという出来事は、聖書に書かれてなどいない、というゆゆしい懸念に関して、はっきりとした判断をくだしたいと思います。ここに書かれている変貌は、携挙に先立って起こる変貌です。そのような変貌が起こるという事実は、携挙が起こることをも確かなものとしています。ここで私たちの前に現されたことは、生きている聖徒は全員、瞬間的に栄光の体に変えられるということです。そしてそれが「終わりのラッパ」という特定のタイミングで起こるということです。肉体の変貌と携挙は、別個に起こるものではありません。


それが起こる瞬間は、勝利の現われの瞬間です。その勝利は、私たちの忠実さによってもたらされるものではなく、主イエス・キリストの忠実さによってもたらされるものです。従ってそれは、(一部のクリスチャンに対して)傑出した忠実さや霊的覚醒の報酬として与えられるのではなく、主イエスの恵みと力の表れとして与えられるのです。


この聖句は、こんにち教えられている、一部のクリスチャンだけの変貌とか携挙、という概念を明確に否定しているのです。



●まとめ

私たちが聖書から学んだことをまとめてみましょう。


1.携挙は裁きではありません。恵みのわざの極みです。携挙は、キリスト・イエスによる大いなるあがないの最終局面です。


2.携挙を通して、主が天から来られ、天的な者たちをご自身のもとに連れて行きます。彼らは主に属する者であり、主の性質を帯びている者たちです。選択的な携挙という概念は認められません。【携挙ののち、神の御霊が教会とは別の聖徒たちを起こすことは事実です。(新しい)聖徒たちの一部は、殉教することになるでしょう。そして、のちに復活するのです(黙示録20:4参照)。このことは、キリストの再臨時に、主に属するすべての者が瞬時に引き上げられるという、私たちの主張とまったく矛盾しません。】


3.携挙とは、厳密には「教会の携挙」ではありません。というのは、人類史が始まったときからのすべての信者たちが、携挙の対象に含まれることは間違いないからです。しかし、もちろん教会も携挙されます。教会はいのちのある有機体ですから、その一部の器官だけが引き上げられるという考えは、聖書的真理に反します。


4.主が聖徒たちのために再臨すると言及している聖句、たとえばヨハネ14:3、汽謄汽蹈縫隠粥В隠機腺隠掘↓汽謄汽蹈縫隠機В后腺隠亜↓競謄汽蹈縫隠押В韻覆匹涼罎砲蓮部分的携挙のほのめかしは微塵もありません。逆に汽灰螢鵐硲隠機В毅院腺毅欧覆匹寮散腓蓮∩綾劼靴燭茲Δ法¬棲里つ正式に部分的携挙を否定しています。