ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

ベタニア ~主が求めておられる教会像~

「ベタニヤ」という翻訳文を掲載することにしました。

これは、フランク・ヴァイオラというアメリカのハウスチャーチ指導者の講演を文章化したものです。

真実な教会を建て上げたいと願うすべてのクリスチャンに有益と信じます。

翻訳とブログ掲載にあたっては、出版社の許可を得ています。

これを読まれるすべての兄弟姉妹の上に、主の祝福が豊かにありますように。

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ベタニア ~主が求めておられる教会像~  


2007年5月11日 フランク・ヴァイオラ


Copyright 2007 Present Testimony Ministry - www.ptmin.org


●お願い
この文章は、フランクが2007年4月22日に、フロリダ州セント・オーガスティンにあるハウスチャーチで行なった講演を文面にしたものです。このメッセージは、教会とはいかなるものか、また教会で行なわれる風習はどうあるべきかを再考しているあらゆるハウスチャーチ、シンプルチャーチ、オーガニックチャーチ、新興の教会に適しています。プレゼント・テスティモニー・ミニストリーでは、このメッセージが広範に行き渡ることを願い、イーブックとして無償配布することにしました。他の方々が自らダウンロードできるように、どのような形でも結構ですので下記のURLをご紹介いただけるよう、よろしくお願いします。特に、上記の教会に集う皆様には、そうしていただけますようよろしくお願いいたします。

www.ptmin.org/bethany.htm


●目次 
導入
出会い その1
出会い その2
出会い その3
出会い その4


●導入

主イエス・キリストがこの世に来られたとき、この世は主を拒みました。

主の降誕を覚えていますか?
ベツレヘムの町はどこもかしこも、イエスに対して扉を閉ざしました。そのためイエスは、牛の糞にまみれ悪臭を放っている馬小屋の中でお生まれになったのです。

エスが2歳だったとき、政府によって幼児の大虐殺が行なわれました。(イエスが入った幼稚園には、イエス以外に男の子はいなかったでしょう。)

その後、公生涯に入ると、ご自分の選びの民であるユダヤ人から拒絶されました。
「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった」(ヨハネ1:11)。

エルサレムを支配していた宗教指導者たちもまた、主を拒みました。彼らが自分たちのメシアを拒んだゆえに、主がエルサレムの街のために嘆かれたことを思い出してください(ルカ13:34)。

サマリヤに入ろうとしたときにも、イエスは人々から拒まれました。「イエスは御顔をエルサレムに向けて進んでおられたので、サマリヤ人はイエスを受け入れなかった」(ルカ9:53)。

エスは、ご自分の故郷であるナザレでも拒絶されました。この言葉を思い出してください。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです」(マルコ6:4)。

事実、主ご自身が、この世では住む家がないと言っておられます。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません」(ルカ9:58)。

この皮肉がわかりますか?宇宙の創造者がおられるのに、万物を造られた方、いえ万物が造られた目的である方がおられるのに、まさにご自分がお造りになったその世界から拒絶されているのです。イエスは一度も歓迎されず、受け入れられませんでした。

しかし一つだけ例外があります。イエスの全生涯を通じて、一箇所だけイエス・キリストが歓迎された場所がありました。それがベタニアという小さな村です。その村はイエスの生涯において、傑出した役割を果たしました。

この午後は、イエスがベタニヤに旅をした際のあしあとを追ってみたいと思います。私がそうする理由は単純明快です。このベタニヤこそ、主が求めておられる教会の姿を表していると信じているからです。神はこのベタニアが、地上のすべての都市に興されることを願っています。もちろん、このフロリダ州はセント・オーガスティンにもです。

福音書は、ベタニアで起きた4つの出来事を伝えています。それら一つ一つを見る前に、この村に関する歴史的な背景を紹介したいと思います。

・ベタニアは、エルサレムの南東約3キロの近さにあります。

・オリーブ山の南東の斜面に位置しています。

ゲッセマネの園もオリーブ山にあります。ゲッセマネとは、「オリーブ・プレス」(オリーブの実をすりつぶして油を取るための大きな石臼)という意味です。ゲッセマネの園は、オリーブの実をすりつぶす場所でした。

・十字架刑に先立つ6日間、イエスは、昼はエルサレムへ行き、夜はベタニヤに退き、夜を明かしました。繰り返しますが、地上での最後の6日間、イエス・キリストはベタニアに退き、そこで宿をとられました。イエスは、ベタニアに隠れ家と安息、安全と平安を見出していたのです。

・ベタニヤとは、「いちじくの家」という意味です。これについては後述しますが、大きな意味があります。

・イエスが愛したと聖書が記している3人の人物が、ベタニヤに住んでいました。マルタとマリヤ、そしてラザロです。

・マルタが長女、マリヤは次女、ラザロは彼女たちの弟でした。

・ベタニヤには、第4の人物も住んでいました。聖書が「らい病人シモン」と呼んでいる人物です。ある学者たちは、シモンがマルタらの血縁者だったと考えています。父親かおじだったようです。

・マルタは、ベタニヤに持ち家がありました。マリヤは町中でよく知られていました。ヨハネはベタニヤを「マリヤの町」と呼んでいます。

・彼女たちの一家は、裕福だったようです。(マルタの家の大きさ、ラザロが埋葬されていた墓の様式が、彼女たちの経済状況を示しています。)

・ベタニヤは、主イエスが地上で唯一理解され、認められていた場所として描かれています。

それでは聖書から、主イエスとベタニアの出会いを見ることにしましょう。



●出会い その1  AD29年10月29日


テキスト:ルカ10:38~42


この箇所から説教が語られる場合、マルタにはほとんど焦点が当てられたことがなかったと言っても過言ではないでしょう。多くの説教者は、「マルタ・バッシング」をしてきました。

けれどもきょう私は、マルタに対して好意的な内容を話したいと思っています。38節に注目してください。マルタが、喜んでイエスを自分の家に迎えたと書いてあります。別の訳では、「マルタは、イエスを自分の家に受け入れた」とあります。


■イエス・キリストを受け入れる■

ベタニヤは、地上で唯一、イエス・キリストを完全に、また喜びをもって受け入れた町でした。イエスが安らぐことができたのは、地上で唯一ここだけだったのです。

これこそベタニヤの秀でた特徴です。同時に、それは神が求めておられる教会像でもあるのです。

エス・キリストはこの世では受け入れられませんでした。しかしベタニヤでは受け入れられたのです。

それではイエスを受け入れるとは、どういう意味でしょうか。これは極めて重要な問い掛けだと思います。なぜならこの問い掛けの中に、教会の回復という課題がまるごと包含されているからです。主を受け入れるということが正しく理解されなければ、教会の回復も決してありえないと私は考えています。

私の考えでは、イエス・キリストを正しく受け入れるということには、次の3つの側面があるようです。


1.キリストを正しく受け入れる

キリストを正しく受け入れるということは、キリストを栄誉の座に座らせ、最高位を明け渡し、中心に据えるということです。私がハウスチャーチに集うようになって、かれこれ20年になりますが、個人的な意見を言わせていただくと、必ずしもすべてのハウスチャーチがキリストを中心に据え、キリストに最高位を明け渡しているわけではありません。イエス以外の何かが、中心を占めています。
 
しかし嘆かわしいことに、キリストを中心に据えている教会の中には、エリート気取りになったり、流派主義に陥る傾向があります。そういった教会は、その集会内容や態度によって、彼らが慕い求めているはずの主ご自身を裏切っていることになるのです。

私はいつもこのように言っています。「流派主義とエリート気取りは、体臭のようなものだ」と。本人を除いて、周囲にいる誰もがそのニオイに気付いているのです。

誤解しないでください。イエス・キリストが、エリート気取りの教会や流派主義の教会の中で、安らぎを見出すことなどありません。

キリストを中心に据え、キリストに最高位を明け渡すとはどういうことか、ここでキャンプをして語り合うこともできるのですが、そうするには時間が足りません。

エス・キリストが受け入れるのは、最高位だけであると言っておきましょう。キリストに絶対的至上権を明け渡し、キリストを真っ只中に据える教会のほかに、キリストが安らぐことのできる場はありません。キリストが願っているのは来客になることではなく、家の主人になることです。

私に言わせていただくなら、多くの教会において、主はあたかも見えざる来賓のように扱われています。しかし来賓は所詮、単なる訪問者にすぎません。われらの主は、来客以上の何かになりたいと願っておられるのです。それは、教会のかしらです。キリストをかしらとする教会においてのみ、そのような人々の間においてのみ、キリストは安らぐことができるのです。