ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

「十二使徒の教訓」 その2

●おもしろいと思った箇所 その2

9章には、聖餐のやり方について書いてある。
最初に「杯」について感謝するよう書いてあり、その際の感謝の言葉も書いてある。
次に「パン」についての感謝の言葉が書いてある。

そして10章1節に「満腹をした後、次のように祈りなさい」とあり、結構長い感謝の祈りの言葉が書いてある。


感想1:感謝の言葉がここに書いてあるとおりである必要はないと思った。そのとおりに感謝し続けたら、それが伝統になり、心からの感謝ではなく、ただの宗教的な文句になってしまうだろう。


感想2:「満腹をした後」という言葉から、やはり初期の聖餐は、フルミール(完全な食事)だったことを伺わせていると思った。あと、食事の前に感謝するのではなく、終ったときに感謝するというのは、おもしろいと思った。


●その3
11章に「使徒預言者」について書いてある。使徒は「一日しかあなたがたのところにとどまるべきでない。・・・もし三日とどまるなら、その人は偽預言者である。使徒たるものは、出発に際して、次の宿泊までに必要なパン以外は何もうけとるべきではない。もし金銭を要求するなら、その人は偽預言者である。」


感想1:「もし三日とどまるなら、その人は偽預言者である」とあるが、福音書でイエスさまが弟子たちを村々に遣わして、平安がとどまる家に伝道が終るまでステイしなさいと言っているし、パウロもたいてい3ヶ月前後、長い場合は2年間、同じ町にとどまって開拓伝道をしたので、「三日」で移動しなかったら偽者というのは、ちょっとないでしょうと思う。

ただ使徒というのは、同じ教会にいつまでもとどまるものではなく、伝道や励ましのために常に移動するものだという考えは納得できる。パウロとその一行がそうだった。こんにち、ひとつの教会の牧師をしながら、使徒を名乗っている働き人がたくさんいるが、それは確かに聖書とは違っている。


感想2:偽預言者の定義が、「金銭を要求する」ことだとは聖書は言っていない。しかし使徒は金銭を要求しないものだという点は、パウロの姿勢と一致している。



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