ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

監督と執事の選択

15章には、監督と執事の選び方について書かれている。

「自分たちのために、温和で、金銭を愛さず、真実で、保証済みの人々を、主にふさわしい監督と執事として選びなさい。彼らもあなたがたのために、預言者および教師の務めを果たすのである。彼らを軽んじてはならない。彼らこそが、預言者および教師共々、あなたがたの尊敬をうけて来た人人たちだからである。」

感想:初期の教会では、こんにちと違い、自分たちの教会の構成員の中からリーダーを選んだことが伺える。その人はずっとその教会で育ってきた人で、周囲の兄弟姉妹たちもその人の人柄や賜物、信仰のあり方を知り尽くしている。監督や執事として選ばれるのは、その人が以前からそのように仕え続けてきた結果であって、自然な成り行きだったのだ。しかも、こんにちのように教団やグループの上層部の人たちが選ぶのではなく、その教会の兄弟姉妹たちが自分たちで選んだのである。神学校を卒業したから自動的に牧師、自動的に伝道師というのとはわけが違う。

こんにちの牧師は、多くの場合、元はよその教会の人で、神学校などで学んで卒業した人が、職業として牧師を始めるので、どこかの教会に派遣して仕事を与えてやらなければならないという意味合いがある。あるいは、別の教会でしばらく経験を積んだ牧師が、さらに次の職場となる教会に移動させられる。これは、まったく聖書的ではなく、むしろこの世の企業の転勤に酷似している。昔の教会とは、大違いだ。

このようなやり方が公然とまかり通っているこんにちの教会は、聖書や初期の教会のやり方から大きく逸れているとしか言いようがない。


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