その2 神の福音
●神が主役
日本語の聖書では、「神の福音」というフレーズが冒頭に来ています。
「神の福音」という部分は、セオス(神)という名詞の所有格が、福音(ユアンゲリオン)を修飾しています。
学者たちの間では、この部分の解釈が、①神に関する福音、②神がもたらした福音、という2通りに分かれています。
文法的にはどちらの解釈も可能で、間違っていません。
私が言いたいことは、どちらにしても福音の中心は神であるということです。
それに反して、こんにち世界で語られている福音は、あまりにも人間中心ではないでしょうか。
「神はあなたを愛しています。」
「神はあなたの人生に計画を持っておられます。」
「イエス・キリストはあなたのために死なれました。」
まるで神とキリストが、人間ために存在しているかのようです。
聖書のメッセージは逆です。
聖書は、「初めに、神が天と地を創造した」という一文で始まります。
つまり万物の源は神であり、宇宙の主役は神であると述べているのです。
こんにちの伝道メッセージは人に対する愛で満ちていますが、「使徒の働き」には「愛」という言葉自体が一度も出てきません。
使徒たちが、こんにちのような伝道をしていなかったことは明らかです。
こんにちでも、本当に聖霊に従った伝道をするなら、神が主役の福音が語られるはずです。
そういう福音こそ、「神の福音」なのです。
パウロは、「神の福音」のために選び分けられました。
たとえ一握りのクリスチャンでもいい。
パウロの後に続き、神を主役とした伝道をし、神を主役とした聖書解釈をし、神を主役とした世界観を持ったなら、
神はどれほどそのクリスチャンたちを喜ばれることでしょう。