その5 御名のため
「このキリストによって、私たちは恵みと使徒の務めを受けました。それは、御名のためにあらゆる国の人々の中に信仰の従順をもたらすためです。」 ローマ1:5
これは、日本語の語順が生み出す必然悪のようなものです。
しかし原典を見てみますと、「御名のために」のところに、「~の目的ために」という意味の前置詞が使われており、異邦人を信仰の従順に入れることは、神の御名のため、つまり神の名誉と栄光のためであることがはっきりと表現されています。
私たちクリスチャンは何のために伝道するのでしょうか。
人が滅びから救われるため。
間違いではありません。
しかし、実は人が救われること自体が目的ではありません。
神の栄光のためです。
●キリストのもの
私たち人間自体が救いの中心的な目的ではないことは、6節からもわかります。
「あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストによって召された人々です」
「イエス・キリストによって」と訳されていますが、これは誤訳と言っていいと思います。
この部分は原典では、所有格の名詞です。
ですから6節は本来、次のように書かれているのです。
「あなたがたも、それらの人々の中にあって、イエス・キリストのものとなるために(神によって)呼ばれた人々です。」
新共同訳は、原典の意図を汲んだ訳を採用しています。
新共同訳ローマ 1:6 「この異邦人の中に、イエス・キリストのものとなるように召されたあなたがたもいるのです」
このように、私たちが救われた目的はイエス・キリストのものとなるためです。
自分の人生を生きるためではありません。
「それ(=信者をあらかじめ救いに定めること)は、神がその愛する方にあって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。」エペソ1:6
救いの目的は、天国を人間で満たすためではありません。
私たちが救われるのは、私たちが心配事や苦しみから解放されて、楽な人生を送るためでもありません。
自己実現ために、神を利用することでもありません。
私たちは御名のため、神の栄光のために救われたのです。