ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

その4 イエスの特殊性

「御子は、肉によればダビデの子孫として生まれ、聖い御霊によれば、死者の中からの復活により、大能によって公に神の御子として示された方、私たちの主イエス・キリストです。」ローマ1:3~4

●「生まれた」
聖書はこの「生まれた」という言葉によって、イエス実在した人間であったことを主張しています。
 
架空の人物ではなく、他の人間と同じように人間の女から生まれ、歴史の中に存在した人間であることを表しています。
 
ローマ7:5、18、23、25、8:10によれば、罪の性質は「肉」や「からだ」の中に宿っています。
 
ということは、肉体を持っていなければ人の罪を負うことができないということです。
 
人間であるということは、贖い主として、なくてはならない条件なのです。

●「ダビデの子孫」
旧約聖書は多くの箇所で、メシヤがダビデの家系から生まれることを予告しています。
 
パウロは、イエスが旧約で予告されているユダヤ人由来の正真正銘のメシヤであると主張しています。
 
例えば文鮮明のように、朝鮮人由来の救世主というのは、完全に非聖書的でお話にならないということです。

●「死者の中からの復活」
①死ぬという現象は、罪人にしか起こらないことです。アダムの罪によって人類に死が入りました。死は罪の結果です。すべての人間が死ぬことは、すべての人間が罪人であることを証明しています。つまりパウロは、イエスが(私たちの身代わりに)罪人となり、罪人として死んだことを主張ています(Ⅱコリント5:21、イザヤ53:5,11,12)。

しかしその死に打ち勝ち、復活したということは、②イエスがただの人間ではなく神であることを意味しています。

③また罪の結果である死を打ち破ったということは、このお方に罪の究極的な解決(罪の完全な帳消し)があるということを示しています。

それとともに、④イエスは生前から自身の復活を予告していましたから、エスの言葉の真実性を証明する意味もあります。

これらのゆえに、復活は人の救いになくてはならない条件です(ローマ4:25)。

●「神の御子として示された」
「神の御子」は「神の息子」という意味です。
 
この表現は、イエス神と同質の存在であることを示しています。

「示す」はホリゾーというギリシャ語です。ホリゾーは、英語のhorizon/地平線の語源となった言葉です。地平線が海と空を区別しているように、ホリゾーには「区別する」という意味がります。

パウロは、イエスが復活してはじめて神の息子になったと言っているのではありません。(イエスは永遠の昔から神の子です。)復活によって、普通の人間と区別されたと述べているのです。

復活は、イエスが神と同質の存在であることを公に明らかにしているのです。

●「私たちの主」
そのような特別でものすごい存在(神)が、私たちのような罪人の主人になってくださったという恵みを示しています。