ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

その7 聖霊による有効召命

「召された聖徒たちへ」 ローマ1:7後半

パウロはローマのクリスチャンたちに関して、6節と7節で繰り返し「召された」という言葉を使っています。

6節では「召された人々」と書き、7節では「召された聖徒たち」と書いています。

「召された」という言葉の繰り返しによって、明らかに読者に伝えようとしている何かがあることがわかります。

●2種類の呼び掛け
「召された」と訳されているギリシャ語のクレートスは、「呼ばれた」「招待された」という意味の形容詞です。

新約聖書に書かれている呼び掛けには、2種類あります。

無作為に誰にでも与えられる一般的な呼び掛けと、神に選ばれた者たちに与えられる聖霊による呼び掛けです。

前者は、例えば、伝道集会などで伝道者(人)の声によってなされる救いへの呼び掛けです。

あるいはトラクト配布などによる伝道で、伝道文書として書かれた救いの招きです。

信じるように定められている人に対しても、そうでない人に対しても、無作為に救いへの呼び掛けがなされます(マタイ28:19、マルコ16:15)。

「滅ぼされるべき怒りの器」(ローマ9:22)、「滅びに至る人々」(Ⅰコリント1:18)、つまり神に選ばれておらず、救いに定めされていない人々の場合、この一般的な呼び掛けを受けることがあっても、救いにつながりません。

一方、救いに定められている人(使徒13:48、ローマ1:16、同8:30)に対しては、人の呼び掛けを通して聖霊がその人の心に内的な呼び掛けを行います(Ⅱコリント3:3「御霊によって・・・人の心の板に書かれた」)。

救いに定めれている人でも、何度かこの呼び掛けを拒否するかもしれません。

しかし神が忍耐をもって繰り返し呼んでくださることによって、最終的には聖霊に説得され、その人は心を開いてイエスを信じることになります(使徒16:14)。

学者たちは前者を「一般召命」あるいは「外的召命」、後者を「有効召命」あるいは「内的召命」と呼んでいます。

ローマ1章6節と7節の「召された」は、後者の有効召命です。

私たちクリスチャンは、伝道者(人)に呼ばれたのではなく、神によって呼ばれた者たちなのです。

神の国への招き
ルカ14章を見ると、神の国への招きに関する預言的な例え話が出ています。

23節に「街道や垣根のところに出かけて行って、この家がいっぱいになるように、無理にでも人々を連れて来なさい」とあります。

「街道や垣根のところ」とは、異邦人が住む地域を指しています。

イスラエル人が救いの招き(一般召命)を拒んだので、神は異邦人に福音を提示することにしました(使徒13:46で成就)。

「無理にでも連れて来なさい」という部分がありますが、この部分が有効召命を指しています。

この部分の従来の翻訳は、最近は不適切だと言われています。

ギリシャ語のニュアンスとして、「強く勧める」「説得する」という意味が適切だとされています。

パウロらの伝道を通して福音を聞いた異邦人の選ばれた人々は、聖霊に強く説得されて神の国に入りました(使徒13:48、Ⅱテサロニケ2:13~14)。

私たち異邦人クリスチャンは、このように恵みによって神に説得されたのです。

かたくなであり、不信仰な私たちですが、キリストを信じるまで説得し続けてくださった聖霊に感謝です!

私たちは、まさに「召された人々」であり、「召された聖徒」なのです。