ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

その8 御霊の賜物

7節までのパウロの挨拶は内容の濃いものでしたので、時間をかけて少しずつ記事にする形になってしまいました。

しかし、ずっとこれまでと同じペースで行く必要はないと思います。

今回からは、重点だけを記事にしていきたいと思います。

●御霊の賜物とは?

「私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでもあなたがたに分けて、あなたがたを強くしたいからです。」 ローマ1:11

上記の聖句にある「御霊の賜物」とは、一体どういう意味でしょうか。

特にカリスマ・ペンテコステ派のクリスチャンの間では、いわゆる聖霊の賜物(Ⅰコリント12章などに書かれている9種類の霊的能力)と誤解されている可能性があります。

パウロがあたかも、自分に与えられている聖霊の賜物をローマのクリスチャンたちに分け与えると述べているかのように思われてはいないでしょうか。

パウロがローマの教会に行ったときに聖霊の賜物を使うことはない、などと言うつもりはありません。

しかしここでは、この「御霊の賜物」という表現を、もっと広い意味に解釈したほうが良いと思います。

●分析
この箇所の「賜物」はカリスマという言葉で、「恵みの賜物」という意味です。

「御霊の」の部分は、「霊的な」という意味の形容詞です。

カリスマはローマ5:15、16でも使われており、そこでは恵みによる救いを指しています。

新改訳聖書では「恵み」(5:15)、「賜物」(5:16)と訳されています。

ローマ11:29では、28節の神による「選び」を、「賜物」(複数形のカリスマタ)と言い換えています。

そしてローマ12:6では、預言や奉仕、教えなどの霊的賜物に使われています(複数形でカリスマタ)。

このように、カリスマという言葉が意味する範囲は広いことがわかります。

ある箇所では救いのことであり、ある箇所では神が契約の対象者を選ぶことであり、ある箇所では霊的能力です。

●文脈から
こうなると、文脈を参考にするしか正しい解釈の方法はありません。
 
12節でパウロは、11節の内容、つまりローマのクリスチャンたちをどのようにして強めるかの方法を、具体的に述べています。

「あなたがたと私との互いの信仰によって、ともに励ましを受ける」

これがその方法です。

このことから、11節の「御霊の賜物」を分けるということの意味は、広い意味で霊的な祝福を分かち合うことであると言えます。