その9 神の義による救い
「福音は・・・信じるすべての人に救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は信仰に始まり信仰に進ませるからです。」 ローマ1:16後半~17前半
パウロの説明によれば、福音には人を救う力があります。
その理由が17節に述べられています。
「なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて」
これが福音に救う力があるゆえんです。
神の義に、救う力の鍵があるのです。
多くのクリスチャンは、神の義がどのようなものなのか、よくわからないのではないでしょうか。
しかし旧約では、神の義は救いと切っても切り離せない関係にあります。
詩篇の著者は救いと神の義を並列させ、同義語のように使っています。
他の箇所でも見られます。
彼らがいのちの書から消し去られ、正しい者と並べて、書き記されることがありませんように。」
旧約聖書によれば、神が義なる方であり、正義を行うからこそ、救いがあるのです。
●契約と神の義
現代の教会は、愛ばかりを誇張しています。
あたかも神の性質には愛しかないかのようです。
しかし聖書を調べると、神はご自分が義しい神であることの証として神の民を救っていることがわかります。
神は、ご自分が結んだ契約を守る義しい神であるがゆえに、神の民を救い、生かします。
主は、力強い御手をもってあなたがたを連れ出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手からあなたがたを贖い出された。」
契約が守れないことは、神に力がないこと、また真実でないことを意味します。
そうなれば、神はご自分の名誉が守れません。
宇宙の王である神は、ご自分の名のために契約を守り、神の民を救うのです。
イザヤ48:9、11
「わたしは、わたしの名のために、怒りを遅らせ、
わたしの栄誉のために、これを押さえて、あなたを断ち滅ぼさなかった。
わたしのため、わたしのために、わたしはこれを行う。」
あなたの御名のゆえに、私を導き、私を伴ってください。」
ヒューマニズムと博愛主義に染まった現代のクリスチャンは、義という神の性質をしっかり理解しておく必要があります。
博愛を語れば人受けします。
しかし私たちは、人に付け入るような福音の語り方をするべきではありません。
「私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、
人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。」 Ⅰテサロニケ2:4
人は高慢ですから、救われる根拠を自分に求めたがります。
しかし神が最も強く求めているものは、神の栄光と御名の栄誉です。
私たちは神の栄光のために造られたのですから、神の栄光のために福音を語ろうではありませんか。
「わたしの名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。」イザヤ43:7