ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

その14 弁解の余地なし

「神の、目に見えない本姓、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきり認められるのであって、彼らに弁解の余地はありません。」ローマ1:20

クリスチャンはしばしば、一度も福音を聞いたことのない人が死んだらどうなるのかという疑問を持ちます。

神は憐れみ深い愛なる神だから、福音を一度も聞いたことのない人を地獄へ送るはずがないと考える人もいます。

しかし、それは大きな間違いです。

「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」ヨハネ14:6

主イエスは、救いに至る方法は、ご自分を信じることを通してしかないと言明しておられます。

しかも、父なる神の介入がない限り、誰ひとりイエスを信じることができないのです(ヨハネ6:44)。

不信者であっても、被造物を観察することによって、神が存在することと、神が永遠のお方であることを知っていると冒頭の聖句は述べています。

神がいないと考えている人がたくさんいますが、それはその人の罪が真理を歪めているにすぎません(1:18)。

つまり、自分で自分を欺いているのです。

ですから福音を一度も聞かずに死んだとしても、その人々が神の怒りを逃れるための弁解の余地はありません。

これは、「義」という神の性質による原則です。
 
厳しいことですが、私たち被造物はそれを受け入れなければなりません。
 
(ただし上記の原則は、胎児や幼い子どもにはあてはまりません。)